魯迅記念館(中国・紹興)

杭州から車で1時間半の紹興。人口は430万。

紹興酒の街、水郷、名士の街として有名な観光地である。

ここも変化が激しいようで、中国人ドライバーも「ちょっと来ない間にこの街もすっかり変わった」との感想を漏らしていた。


市街地の中心街に「魯迅古里」(Luxon native place)という一角がある。魯迅中路を挟んで、魯迅祖居、魯迅故居、魯迅記念館などが並んでいる。この歩行者専用道路は水郷の地を髣髴とさせる運河が入り込んでいる。子どもの頃遊んだ百草園も保存されている。


この街に入って最初に目につくのは「民族脊梁」という大きな石碑である。民族の背骨、柱をしっかり建てろという意味で、魯迅が残した言葉だ。今の日本にもこの言葉は痛切に響く。

祖居は魯迅一族が住んでいた大きな屋敷、故居は魯迅の自宅、三昧書屋は魯迅の私塾である。

祖父は役人、父の代で没落する。魯迅1881年--1936年。55歳で没)は13歳の時に無財となって親戚に預けられている。


魯迅記念館は最近建ったようで、大型の本格的な記念館である。白亜の石づくり。水のある庭も持っている。


写真、映画・ビデオ、そして人形など様々なメディアで魯迅の生涯を展示している。また魯迅の全書籍も展示されていた。日本語の訳がないのが残念だ。

1898年から1936年までに使った筆名が掲示してあったが、物凄い数だった。


恩師・藤野先生と仙台時代の魯迅(周樹人)の人形が展示されていて、魯迅の勉強のエピソードを知らせている。日中関係史上、このエピソード(藤野先生が毎回、周樹人の解剖学のノートに赤文字を入れてくれた。後に魯迅はこのノートをみるといつも奮起できた。詳細は魯迅「藤野先生」。)があることが大変に大きな意味を持っているのだと改めて感じた。昔はこのような立派な市井の日本人がたくさんいたのだと思う。


紹興は、日本に3つの姉妹都市を持っている。

一つは、兵庫県西宮で、名酒の産地同士の縁である。

もう一つは、富山県福光町(現在の南栃市)で、この町は政治家として日中友好に大きな業績を残し、周恩来首相(この紹興の出身)とも親しかった松村謙三の故郷である。

他の一つは芦原町(現在の福井県芦原市)で、藤野巌九郎の故郷である。


今回は急に観ることになり駆け足の短い時間だったが見学になったが、いずれじっくり見学したい。