池波正太郎記念文庫

東京都台東区西浅草の生涯学習センター内に台東区立中央図書館が入っている。その一角に池波正太郎記念文庫がある。同じ建物に樋口一葉記念館の新設工事に伴って一葉記念館の臨時展示室がある。前回ここを訪問した時は、池波正太郎記念文庫は休館日だったので、見ることはできなかった。


池波正太郎(1923−−1990年。六白金星)は、東京浅草で生まれ6歳で下谷の根岸小学校、西町小学校を経て兜町の株式仲買店に入店する。14歳で後の師である長谷川伸に出会っている。その後、旋盤機械工、兵隊などを経て、23歳で東京都職員になり下谷区役所に勤務する。この頃から戯曲や商業演劇の脚本を手がけていく。31歳で長谷川伸のすすめで小説を書き始め、37歳のときに実に5回目で直木賞を受賞する。その後は、時代小説、特に江戸時代の小説を書き、吉川英治文学賞、菊地寛賞などを総なめする活躍をする。代表作は、「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅庵」の三大シリーズと「真田幸村」である。


年譜を辿っていくと、物凄い仕事量であることがわかる。しかし、意外なことに、昼は江戸の市井に材をとった小説、夜は戦国時代もの、という一日に二役をこなしながら、「書けない、と思ったら、それこそ一行も書けないのだ」「その日その日に、先ず机に向かうとき、なんともいえぬ苦痛が襲いかかってくる。それを、なだめすかし、元気をふるい起し、一行二行と原稿用紙を埋めてゆくうち、いつしか、没入することができる」と書いているのは、名人でもそうなのかと安心する。


生前の書斎をそのまま復元している空間がある。10畳の洋間の中で机と本棚を並べている。机の上には書きかけの原稿用紙が積んであり、その上に愛用の万年筆と校正用の色鉛筆が置いてある。原稿用紙をよくみると「鬼平犯科帳・雑記」というタイトルだった。万年筆で書いた原稿の消す部分は青鉛筆、行替えや文字空部分は赤鉛筆を使っていたことがわかる。仕事の武器である万年筆は40本ほども持っていて、書き出しと中盤は違うタッチの万年筆を使っていた。本人が座っている右側の板の上には電気スタンドがあり、左側にはお茶のセットと手帳、ペンなどが並べてある。後ろ側は書棚である。池波正太郎はこの空間で一日の大半の時間を過ごし、質の高い作品を量産したのである。そして驚くべきことに原稿の締切には遅れたことがない。


年賀状を毎年自筆で1000枚書いていたそうで、その現物が展示されている。前年の春に刷りあがって、夏、秋、師走にかかえて宛名を書いていく。本人によれば人づきあいがよくなにので、せめて年賀状は自筆で書くことにしたとのことである。


気分転換は音楽だったようだ。サマータイムカラヤン、南太平洋、アニーよ銃をとれ、風林火山などがお気に入りだった。


子どもの頃から絵を描くことが好きであり、晩年には「近年は、自分の本の装丁や挿絵も描けるようになった」と述懐している。風景画、人物画、猫などの動物画など実にうまい。


小説以外のエッセイにもファンが多い。小説は読まないが、エッセイは殆ど読んでいるという女性もいるとか。膨大なエッセイ群を4つに分けて展示してある。

一つは、「食」の世界である。この作家は時代小説の中の食事の描写がうまい。本人によれば季節感を出すための道具ということになるが、食いしん坊だったことがわかる。「むかしの味」「食卓のつぶやき」など。

「いまが旬の浅蜊(あさり)の剥身(むきみ)と葱(ねぎ)の5分切を、薄味の出汁(だし)もたっぷりと煮て、これを土鍋(どなべ)ごともち出して来たおみねが、汁もろとも炊きたての飯へかけて、大治郎へ出した」。これが深川の人のいう「ぶっかけ」である。実にうまそうだ。

「刺身の上にわさびをちょっと乗せて、それにお醤油をちょっとつけて食べればいいんだ」「てんぷら屋に行くときは腹をすかして行って、親の敵にでも会ったように揚げるそばからかぶりつくように食べていかなきゃ。てんぷら屋のおやじは喜ばないんだよ」


二つ目は「映画」の世界である。「最後のジョン・ウエイン」「ラストシーンの夢追い」「スクリーンの四季」「回想のジャン・ギャバン」などが並べてあり、欧米の映画監督の似顔絵のシリーズも面白い。

三つ目は「芝居」の世界である。新国劇の「牧野富太郎」「風林火山」「名寄岩」など。

四つ目が「旅と人生」である。「旅は青空」「酒と肴と旅の空」「旅と自画像」など、、。

旅に出ると文章は一枚も書けなかったらしいが、それは旅を楽しんでいたのだろう。仕事は仕事場でしかしないのだろう。


物凄い趣味人であったことがわかる。


「私の故郷は、誰がなんといっても浅草と上野なのである」と語った池波正太郎は、生涯この地を題材にした小説やエッセイを書きつづけた。台東区がそういう池波正太郎を顕彰する記念文庫をつくったのは当然といえば当然だ。


「一生のうちに、自分の時間をどのようにつかったらよいのか、、、。それはまた、他人の人生を考えることになる」「原稿を早目に早目に仕あげておき、自分だけの時間をつくり、のんびりと街を歩いたり、好きな絵を描いたり、映画を観たりするために、つきあいの時間を減らすということだ」「約束も段取り・仕事も生活も段取りである。一日の生活の段取り。一ヶ月の仕事の段取り。一年の段取り。段取りと時間の関係は、二つにして一つである」


山口瞳「池波さんは江戸に長逗留された」

常磐新平「「男の作法」を、私はもっと若い頃に読みたかったと思う」「「池波正太郎の銀座日記」は日記文学雄傑作」「素晴らしい日本語で書かれてある」


池波正太郎が愛した店はできるだけ訪問したいものである。

 和食の「花ぶさ」(外神田)、蕎麦の「まつや」(神田)、天婦羅の「山の上」(神田)、ホットケーキがうまい「万惣」(神田)、喫茶の「アンデュラス」(浅草)、ドジョウの「前川」(駒形)、蕎麦の「並木藪」(雷門)、「御料理いまむら」(銀座)、寿司の「新富寿し」(銀座)、洋食の「煉瓦亭」(銀座)、鮨の「松鮨」(京都)