日田への旅

天領・日田は実家の中津から車で1時間の距離となっていた。昔は2-3時間かかっていたと思う。中津に住む母と一緒に水郷・日田を訪ねた。


目的は二つあって、広瀬淡窓の私塾「咸宜園」を訪ねることと、ゆういっちゃん(樋口裕一)のお母さんと会うことである。


咸宜園は江戸時代の日本最大の私塾で、全国68カ国のうち66カ国4168人の塾生が学んだというからすごい。詳しくはまた記すが、高野長英大村益次郎、長三州、上野彦馬、清浦圭吾、朝吹英二などが出ている。「世の中の役に立つ人になれ」という方針のもと、勉強と修養に力を入れた。修養とは自分を高めることである。


豆田町の広瀬資料館は、日田で掛屋を営んだ広瀬家の資料館。淡窓は長男だったが弟の久兵衛に家業を譲る。その広瀬家は歴代いい仕事をする。現在の大分県広瀬勝貞知事は現在の当主の弟である。


ゆういっちゃん(樋口裕一)のお母さんとは40数年ぶりに会い、名物のうなぎせいろを食べる。幼い当時の記憶は私の母との会話の中でどんどん膨らんでいった。まことに懐かしい時間だった。


日田温泉街にある山陽館に宿泊。いきなり行ったjのだが、露天風呂つきの個室が空いていた。