劇団四季「コーラスライン」仙台公演

劇団四季の「コーラスライン」の全国ツアーは5月20日の神奈川県座間から始まって、9月18日の仙台で終わる。私が観たのは17日である。


コーラスラインは、1975年にブロードウェイで始まり1990年まで約15年間にわたりミュージカルの世界を席巻する。6137回公演、観客動員数664万人という当時の記録をつくった。1975年といえば、ベトナム戦争が終わり、社会が傷ついていた時期だ。そしてニクソン大統領が起したウオーターゲート事件で辞任し、しかも経済は苦境にあった。ブロードウェイのあるニューヨークは破産状態で、街はきたなく、犯罪は日常茶飯事だった。このようなときに、コーラスラインをつくったマイケル・ベネットはアメリカ人のアイデンティティの回復を念頭に置きながらこの作品をつくったという。


このミュージカルは私にとっても特別な作品である。大学を出て1973年に就職し、1978年にはロンドンに赴任する。このロンドンでこの作品の公演を興奮を持って観た記憶がある。ロンドンでは「ジーザスクライスト・スーパースター」や「ヘアー」などミュージカルを堪能した。1981年に結婚するが、新婚旅行先のニューヨークのブロードウェイでコーラスラインを観た。その後日本では映画になったコーララインを観ている。そして今回の劇団四季の仙台公演を観たのである。コーラスラインは私の人生とともにあったということもできるかもしれない。


今まではミュージカルの華やかな部分である外国人の豊かな体格の歌と踊りを堪能していたのだが、今回は事情が違った。日本語だったからである。「履歴書に書いていないことを話してもらおう。君たちがどんな人間なのか--」という演出家・振付師ザックの言葉に応えるアメリカ各地から出てきたダンサーたちのけなげな独白の物語は胸を打った。「踊れなくなったらどうするか」という問いには数々の迷いはあるが「安定を望んでこの世界に入ってきる人はいない。好きでここにいる」と彼らは答える。

若者の不確かな将来、ダンサーの不安定な未来、その未来に向かって進む精神と姿に感動する。私はこのミュージカルを観ながら子どもの頃の幼馴染みたちを思い出していた、、、、。

生きることは難しい。