土日にテレビを何気なくみていると、「あの人に会いたい」という番組にあたることがある。富田勲先生の音楽と銀河をバックにした故人の映像が流れる素敵な番組だ。1回の時間は10分くらいだろうか。今まで、辻嘉一、淀川長治、遠藤周作、中村元、石ノ森章太郎などをみた記憶がある。
今日は69連勝の角聖・双葉山の映像だった。51歳の時の姿である。「人格が立派だった」(朝倉文夫)といわれているが、69連勝当時の想い出も「自分なりの相撲を楽しむというところがあった」というようにゆったりした語り口で語り、謙虚な人柄を感じさせた。
子どもの頃は体は大きかったが、相撲よりも徒競走が得意だったこと、中津で1年入院したこと、そして父親(テテオヤと発音していた)の借金を返すためには漁師では無理なので、相撲界に入ったことなどを語る。子どもの頃から漁師の仕事で鍛えていたので、相撲界の激しい稽古もつらさはなかったそうだ。
若い時代の双葉山は意外なことに、「うっちゃり双葉」と呼ばれていた。本人によれば、体力がなかったからどうしても攻め込まれるから最後はうっちゃりという形になってしまう。真正面から四つに組んで寄りと投げで勝負を決める堂々たる相撲しか知らなかったが、これは貴ノ花と同じだと感じた。前頭のときの貴ノ花は細い体でよくぎりぎりのところでしぶとい足腰で残り、きれいなうっちゃりで勝っていたことを思い出しながら聞いた。
新しく知ったのは、「ほとんど失明状態」(片目だと思うが)だったということである。このことから余計な動きをしたくなかったため、立会いの苦心があったそうだ。そして向こうの声で立つが先に立って有利に組むという「後の先」という取り口が完成した。
双葉山は、その見えない目で偉業を達成したのである。