「養老院より大学院」(内館牧子)

脚本家の内館牧子さんは、相撲の世界を描いた「ひらり」などのテレビドラマなどを書いた売れっ子である。2000年から横綱審議会委員を務めたし、マスコミにもよく登場する。その内館さんが2003年から大相撲研究のため東北大学大学院に入学し2006年に卒業するまでを描いたエッセーのタイトルが「養老院より大学院」(講談社)である。実に魅力的なタイトルで、思わず買って一気に読んでしまった。


仙台が生んだ大横綱谷風梶之助銅像と腕を組む白いスーツ姿、毎日通った広瀬川にかかる大橋でポーズをとったストライプのシャツ姿、緑の美しい定禅寺通りでいたずらっぽい流し目で黒いTシャツに赤い花模様で飾った上着を羽織る姿、学食でクラスメートと定食を食べながら相談している姿、図書館でステップ台を椅子代わりにしながら資料を読んでいる姿、川内キャンパスで受験日に座ったベンチで当時を懐かしむ姿、キャンパスに棲む野良猫に餌をやるコート姿、入試を受けた階段教室で手を頬に当てながら感慨にふける姿、雪の片平キャンパスでを手にしながら厚いコートを着て立っている姿、などが冒頭に写真で掲載されている。写真のどの顔も笑っているのがこの人らしいし、また仙台での大学院生生活を十分に堪能した様子が伝わってくる。


「人生、出たとこ勝負」が座右の銘内館牧子さんは、54歳で東北大学の大学院生になった。文学研究科人間科学専攻宗教学専攻分野に所属し、研究テーマは大相撲である。女人禁制の伝統のある大相撲の土俵上で優勝者に大阪府知事杯を授与したいという太田房江知事の主張に、きちんと反論する根拠を得るために勉強したいというのが本当の目的だった。仙台に住みながら東京にもでかける生活は3年に及ぶ。仕事がなくなる恐怖に耐えて、この間、仕事はほとんど断った。そして3年間の成績は、宗教人類学関係の科目、など全てがA(優)であるのも素晴らしい。単位をとればいいということでなく、真面目に勉強に打ち込んだ証拠である。


大学院での講義の面白さや研究指導の教授たちの人間的な味わい、マスコミで知る大学生とは異なる若者像への驚きとその仲間たちとの屈折した交流、四季折々に豊かな表情をみせる仙台の魅力の数々、そして思いがけず相撲部監督に就任する前後の熱い物語など、社会人大学院生としてキャンパスに存在する異物感をベースにしたユーモアと50代半ばの成熟した女性としての鋭い観察眼で書いた文章はさわやかで、読者を楽しませてくれる。


3年間の大学院生生活で失ったものは、結局は何もなかったというのが内館さんの総括だ。

では得たものは何か。それは「相撲史と大相撲の面白さ、魅力を一人でも多くの人に伝えたい」というライフワークが決まったことだ。そしていつか博士課程でも学ぼうという未来へ向けての展望。これが修士論文を書き終えて57歳になって到達した地点である。


内館牧子さんは、長期にわたる目標を心に描きながら、「でたとこ勝負」で毎回勝負をしていくことだろう。そしてどのような足跡を後に残すのだろうか、楽しみである。