「白洲次郎 占領を背負った男」(北康利)

マッカーサーを叱り飛ばした日本人」白洲次郎の名前をよく聞くようになった。次郎は1985年に83歳で亡くなっているからもう20年以上の歳月が経っているのに、その人気は衰えない。


明治35年(1902年)兵庫県生まれ。神戸一中卒業後、英国ケンブリッジ大学に留学。戦前、近衛文麿吉田茂の知遇を得る。戦後は吉田の側近として終戦連絡事務局次長、経済安定本部次長、貿易庁長官を歴任、日本国憲法制定の現場に立ち会った。いち早く貿易立国を標榜し、通商産業省を創設。GHQと激しく対峙しながら、日本の早期独立と経済復興に、「歴史の黒子」として多大な功績を挙げた。昭和60年没(享年83)。紳士の哲学「プリンシプル」を尊ぶイギリス仕込みのダンディズムは終生変わらなかった。妻はエッセイストの白洲正子


以上がこの本の袖に記されている白洲次郎の一生の記述であるが、第14回山本七平賞を受賞したこの本を読むと、とてもこれだけで次郎を表すことはできないと痛感する。圧巻はGHQとの日本国憲法制定時の迫真の描写である。アメリカ側の意図、日本の抵抗、時間との戦いの中での決着の様子が生々しく描かれている。この描写は今後の憲法論議に影響を与えるだろう。


著者の北康利さんは昭和35年生まれで現在は銀行系証券会社勤務。資産証券化などのファイナンス理論を専門とする一方で、兵庫県三田市郷土史家としての一面も持っている。この本もその郷土史への関心から生れたものである。このように二本足で立つ生活も素晴らしい。


「評伝」という分野がある。人物論をテーマにした本をそう呼ぶのだが、この本は評伝という形式をとった歴史書でもある。優れた評伝とはそういうものだろう。

著者は白洲次郎といういいテーマを発見して厳しい仕事の合間に膨大な資料を読み込み、現地を訪ね歩いていることが行間からうかがえる。そして時折もらす個人としての感想も親しみを感じさせる。先日訪ねた鶴川の武相荘の描写も多い。この本の執筆は楽しい仕事だっただろう。