毎年正月に「実行計画書」を書いてきた。年末にはその総括を記してきた。
最初が1981年(昭和56年)でこの年の2月に結婚式を挙げているから、後から振り返るとこの計画を立てるという習慣が始まったのは結婚したことが契機となっているようだ。
この年は2月に結婚し新婚旅行でアメリカとメキシコへ、5月にマンション購入、12月に人事異動で客室本部業務部に異動、妻の退職という4つが大きなイベントだった。
1990年には、課長になっている。一回り高いレベルの仕事をすること、社内人脈の一気の拡大、自分の課を最強集団にするなど仕事面では張り切っている。また共著5冊を出した勉強会で副代表として活躍することなどを計画し、結果的には初の単独著作も刊行している。
1997年の計画では、3月に日本航空を早期退職し、4月に家族を連れて仙台の宮城大学に赴任した。授業を始めながら野田一夫学長を補佐するなど新しい環境への適応に全力を注いでいる様子が細かく記されている。
最近、計画は黒字、実績は赤字というスタイルで整理しなおしたのだが、毎年A4で6−7枚の計画表だから、数年行方不明の年もあるが、25年間で150ページほどになる。
また、31歳と40歳のときに、2度「人生計画書」という一生を展望した表をつくっている。
家族の年齢、所属部署、役職、知的生産、住居、外国渡航、などの項目があり、30代、40代の最初に自分の進むべき方向を予測してしている。社内での希望部署や昇格の目処、不動産の購入計画、雑誌への登場や受賞予定などもあり、当時この表を人が見たら笑うことは間違いない内容が書かれている。TOEICの点数や趣味の項目などを含め実現できていないことが多いが、不思議なことに全体的にはそういう方向に向かっているという面もある。
いずれにしても1981年から2006年までの25年間、年初にその年の計画を立て、ゴールデンウイークに体勢を立て直し、年末にその年の総括をして、次の年始に計画を立てるというサイクルをまわし続けてきたことになる。
こういうことを始めたのは、井上富夫という人の人生計画表に基づいた人生の姿に影響を受けたからだ。この人は48歳で日本IBMの常務を自主的に退任し経営コンサルタントして再出発するが、そのときに「次の次の社長が約束されているのになぜ辞めるんですか?」という質問に、「人生計画に基づくとこの年齢で次のステージに移ると決めてあったからです」と答えて当時のサラリーマン社会に大きな衝撃を与えた。
私はこの井上さんの影響を受けたのだが、そろそろ次の世代に対してこの役目を果たすべきときがきているのかも知れないと思うことがある。
いつかこの計画と総括の表をこのまま修正無しで発表し、若い人の参考に供してみようか。