上司には細かく報告すべきか。
部下にはどう接するべきか。
クレームをいう顧客への接し方はどうすべきか。
ガンは告知すべきか。人間はどう生きるべきか。
青春をどう生きるか。
経営者はどう振舞うべきか。
こういう議論は私たちの日常で常に議論されている。
私たちはあらゆる問いに一般的な回答があると思っているから、
他の意見や見解に遭遇すると白熱した議論に巻き込まれる。
しかし、人間一般、上司一般、経営者一般というものが果たして
存在するのだろうか。ある文化人類学者によれば、地球上に
あらゆるタイプの人が存在し、人という一般的な言葉でひとくくりには
できないのではないかと思うことがあるそうだ。
ガンを告知すべきか否かではなく、事実はガンを告知すると落ち込む人がいるし、
残りの人生を燃焼したいから教えて欲しい人がいるということに過ぎない。
そして誰がそれを誰に告知するかということも見逃せない。相性もあるのだ。
上司への接し方という原則があるわけではない。細かい報告は自分には必要
ないという上司と、反対の志向の上司がいるということに過ぎない。
そしてその按配は上司と部下の関係しだいということもあるだろう。
会議でいつも反対する人は議題にかかわらず反対しているはずだ。
それはその人の性格である。
私たちはこの性格という点に案外無頓着で過ごしてきたのではないか。
私たちは性格という基本ソフトの性能や性質にしたがって毎日を
生きているのではないか。マネジメントの一般論がなかなか現実の
役に立たないのは、人間の性格というポイントを軽視しているからである。
仕事を選ぶ場合でも、能力や興味といった要素もあるが、性格にあった
仕事に就くのがもっとも幸せなことだ。
看護師という職業にはある性格タイプが多いという統計もある。
それは人を助けることに生きがいを感じるという性格である。
スチュワーデスという職業にはいろんなものに興味を抱く冒険者的な
タイプが多いとも聞く。科学者や技術者には常に対象を観察すると
いう性向が強い人が多い。
集団を率いる場合、プロジェクトを進める場合、リーダーは個々の
成員の性格を意識しながら進めていかなければ成功はおぼつかない。
集団は性格タイプの組み合わせであるという観点が入っていない人事が
多いから失敗する確率が高くなるのだ。
多くの一般理論に欠けているのは性格という視点である。