智恵子記念館----「貧しく、飾らず、単純であれ」

中学や高校のときの教科書に出てきた高村光太郎の妻・智恵子(1886年生れ。1938年に53歳で没)に対する愛情の深さやそれをあらわした詩のいくつかは今も覚えている。岩手県花巻市にある夫の光太郎の記念館は既に訪問したが、福島県・二本松の安達という町の智恵子記念館で、久しぶりにその詩に遭遇した。


瀟洒な白いつくりの智恵子記念館は智恵子の生家の庭の一角に建っている。智恵子の生家は清酒「花霞」を醸造する造り酒屋の長沼酒店で、隆盛を誇った。杜氏部屋、酒男部屋、男衆溜まり場、女中部屋などもある大きな屋敷である。智恵子の部屋は2階にあって見れなかったが、光太郎の影響でベートーベンの第六交響曲田園を聴いた蓄音機や習っていた機織機などが一階の部屋に並べてあり、往時を偲ばせる。


裏庭に建っている瀟洒な記念館は、当時の酒蔵をイメージしたとのことだが、一階と地下のある記念館はそれにしては綺麗なたたずまいだった。


「樹下の二人」という大判の四百字詰原稿用紙に書かれた光太郎の詩があった。

「あれが阿多多羅山

 あの光るのが阿武隈川