修養・研鑽・鍛錬

日本人はもともと修養、自分を磨くということに長けている民族だと思う。

私の母親もそうだが、俳句や川柳を好む年配の方は多い。サラリーマン川柳や短歌の大会などには、数多くの作品が集まる。ものすごい数の愛好者がいるのに驚くことがある。

そのように一生涯かけて自己を磨いていくことが教養を身につけることでもある。常に頭を使っていることが、日本人が長生きする理由の一つなのではないのかとすら思えてくる。

樹が太くなり年輪を重ねていくように、少しずつ徐々に自分が成長していく。一歩一歩踏み固めながら登っていくと一気にそこから落ちるということはない。


これからは、修養や研鑽や鍛錬という言葉がキーワードになってくる時代になるのではないか。今は金儲けばかりに注力している人や企業が多いから、社会がおかしなことになっている。そのような企業の社長の話をテレビで聞いて、なるほどと思うことがあっても、どこか嫌悪感が拭い去れない。自分ならばこの人の下では働きたくないと感じる若い人も多いのではないだろうか。


雑然とした情報を体系化したのが知識である。しかし知識があるだけでは私たちは生きてはいけない。この世の中でいかに生きるべきかを常に問い続けながら毎日を生きていきたい。そのためには、自分の立ち位置をつかんでおかねばならない。縦軸の時代の中で自分の生きている今がどんな時代であるのか、横軸の中で自分の住んでいる日本や地域はどのような特徴があるのか。そういった歴史と地理の中で、自分はどのようなテーマを抱いて生きていけばよいのか。そういうことを毎日自問している人が教養のある人というのである。