地元テレビ局からカメラ取材を受けた----テレビは暴力的なメディアである

昨日の夜、地元のテレビ局から電話があって、仙台近郊に新たにできる大型ショッピングセンター(名取市ダイヤモンドシティ・エアリ。2月24日オープン)がもたらす影響についての取材をしたいとの申し出があった。

よく聞くと「取材は明日」ということだった。何事も経験だと思って、専門分野でもないのだが引き受けて、本日の11時から1時間ほどカメラも入った取材を受けた。

昨日の夜、少し調べて図解にまとめ、それを見せながら解説と自分の見通しを述べてみた。この半日の時間の中で商圏の今後、都市間競争、改正まちづくり三法、シェア戦略とパイ戦略、交通機関の影響、、など自分の中では一気に整理が出来た感じがする。

表現の場が先に設定されて、しかるのちに内容が生れてくる。逆ではない。


テレビというメディアは、詳細な打ち合わせという丁寧さはないし、準備の時間も許されない。いわば暴力的なメディアである。数年前、準レギュラー格で週末の番組に時どき出ていたことがあるが、毎回プロデュースする側も出演する側もやっつけ型の仕事だった。短い時間で的確にキーワードを提出する訓練だった気もしている。


今まで、様々のテーマでテレビカメラ取材を受けていたり、スタジオ出演してコメントしていたことを久しぶりに思い出した。

町内会の活性化、ロフト開店、動物園の経営問題、キャリアデザイン、都市のサービスレベル、行政改革、スタジアム問題、、、など実に多彩なテーマをもらって、短い時間に必死で自分で考えてコメントする。気がつくといろんな問題に自分なりの考えができあがっているという不思議なサイクルを経験することができた。


ラジオの場合は、手元に資料類を置いておけるから、テレビと比較すると心理的な余裕は若干あるが、テレビは瞬間芸的な要素が強く、緊張を強いられる。


新聞の場合は、今日申し込みと取材があって翌日紙面に登場するというペースではなく、時間的に少し余裕があるから、こちらもそれなりの準備ができるから、安心感はある。



この10年、今まで何事も「断らない」という主義でやってきたから、なかなか経験できない分野にも首を突っ込むことができた。これも考え方というより、性格が大きな影響を与えているのだろう。