「獄中記」(佐藤優 岩波書店)を一気に読んだ。

著者の外交官・佐藤優鈴木宗男衆議院議員の断罪の一連の流れの中で、対ロシア外交にあたって行った仕事の中で、背任・偽計業務妨害という容疑で逮捕された人物である。担当局長、課長の決裁をもらった業務で背任の罪に問われたという奇妙な逮捕である。


現在裁判中であるが、一審、二審とも有罪判決(執行猶予付き懲役2年6月)を受けているが、控訴中だ。田中真紀子鈴木宗男の抗争、鈴木逮捕、小泉首相による田中外相更迭と続くドラマの中で、外務省のラスプーチンと呼ばれて、マスコミからも断罪された外交官である。


この佐藤が512日間にわたり東京拘置所の拘留されたが、その間に記したノートは62冊、全体で400字詰原稿用紙5200枚となった。その内容を五分の一に圧縮したのがこの書である。500ページを超える厚い本だが、昨日から読み始めあまりに興味深いのでやめられず、今読み終えたところだ。


優れた知性と高い倫理観と強い克己心を持つこのような人物が、外務省でロシア外交の第一線で活躍ししていたことに頼もしさと同時にそれを活かせないことに無念さを覚える。

鈴木宗男議員は外務省に強い影響力を持って外交を進めており、佐藤も含めた外務省職員とともに橋本首相とエリツィン大統領のクラノスヤルスク合意(2000年までに平和条約を締結する)を実現するために努力を続けていた。

一方、小泉首相は国内経済の建てなおしを優先し、対ロシア外交は休眠状態にするという方向で政権運営にあたった。この国際協調主義と国内優先主義との路線闘争の中で、鈴木議員事件が起こった。そして外務省自体の保身のために生け贄として組織的な裏切りにあった。

これが佐藤の説明である。


国策捜査」というテーマで自らの逮捕を位置づけている。政権の交代による国策の転換時に、前の時代の政策を推進していた勢力を排除するため、犠牲者を選び国家権力のもとで断罪する。この国策による断罪を国策捜査と呼んだ。そのやり方が克明に描かれており、敵も味方も実名で登場するから迫力がある。


昨年読んだ「大地の咆哮」(PHP)の著者・杉本信行も同じ外務省職員だったが、中国と向きあいながら上海総領事として事件に巻き込まれ、その後不治の病に冒され、遺書として2006年5月に原稿を書き上げるが、その後没している。この本も現代中国の実態と日本が持つべきスタンスを憂国の志を持って説いており感動して読んだ記憶がある。


外交という分野で仕事をしている現場の外交官の仕事振りに共感を覚えるのだが、佐藤は同省では勉強を続ける人材ががごく少なくなっていると警告を発している。佐藤によれば、自分は大義に基づいて役所の決済をもらいながら仕事をしていたのであって、背任で訴えられるいわれはない。後になって政治の風向きが変わる中で、訴えられるということがあれば、外務省の役人はリスクを抱えてまともな仕事に取り組まなくなる。しばらくは外交は外務省の外で政治家と他の勢力との間で行われ、外務省は淡々と実務処理を行う機関に成り下がる。それは長期的には日本の国力の低下をもたらすだろう。

これが佐藤の憂いである。


獄中の佐藤は、キリスト者として、誠実な公務員として、国策捜査に立ち向かうが、その日常は意外に静かである。独房の中で受動的知性を使って語学の修得に取り組んだり、今まで読めなかった学術書を200冊読み耽る。その記録が書かれているが、哲学、神学、経済、政治に関する書物など実に多彩であり、その本の神髄やそれに関する自らの考え、感想、評価などを読むと生半可な知識人ではないことがわかる。社会や歴史に対する洞察力は冴えている。驚くべき知性の持ち主である。面白いところ、興味深いところ、大切なとことなどに黄色のマーカーで線を引きながら読んだのだが、ほとんどのページに印がついてしまった。


国際情報局分析一課の主任分析官であった著者はインテリジェンス(諜報)を担当しているだけに、冷静沈着に自分の身に起こった事件を見つめながら、国家と戦う戦術を緻密に組み立てる。状況の中で社会や後々の時代に向けて言っておくべきこと、残しておくべきことを整理していく。忍耐強く使命を果たそうとする。


独房生活は望んでも得られない高度の知的生活を実践できる環境にあるようだ。佐藤は何度もその環境に感謝をしている。規則正しい生活、自由時間の多さ、書物を一字一句吟味しながら読むことができる、人に邪魔されない内面の自由、、、、、。

一度そういう環境に自分を置きたくなる。


マスコミによる断罪には何びとも立ち向かえないが、「思考する世論」に訴えるべく佐藤が選んだ雑誌は、「世界」と「論座」だった。また「思想」も評価をしている。こういった雑誌にも目を通す必要があると感じた。


この著者は獄を出てから「国家の罠」「国家の自縛」「国家の崩壊」「自壊する帝国」など活発に著作を発表しているが、2006年に出した「国家の罠」は毎日出版文化賞、「自壊する帝国」は新潮ドキュメント賞を受けていることからわかるように著述のレベルが高い。


昨年末にこの書を出版した時点で、佐藤優は私生活を大事にしながら、よきキリスト教徒であることを主要テーマに、またよき日本人であることも重要なテーマにしながら、活動の舞台も広げていきたいと述べている。

1960年生まれだから今年47歳の佐藤はまだ若い。今後、目を離せない書き手となることは間違いない。