記録に残すという習慣・習性

やってきたことを記録に残すという習慣が私にはある。

ゼミの学生と一緒に携わってきた各種のプロジェクトはゼミ発足以来必ず報告書という形で冊子にまとめてきたし、新聞・雑誌などのメディアに登場した記録も「メディアクリッピング」という名前で2001年以来、毎月あるいはふた月ごとにまとめお世話になった方々に配ってきた。(これらはホームページhttp://www.hisatune.netで見ることができる)


このゼミ報告書とメディアクリッピングをしっかりした黒い装丁でまとめなおした保存版の冊子が本日出来上がって納品された。ゼミ報告書2冊とメディアクリッピング5冊である。ゼミ報告書は今後のゼミ生が先輩たちの遂行してきたプロジェクトを参考にするのにも使えるだろう。またメディアクリッピングの各年度の冊子をみると、2003年度がもっとも厚く2004年度がそれに続く。2002年5月に出した「図で考える人は仕事ができる」(日経)がきっかけとなってここ数年忙しかったが、ピークは2003年だということがはっきりでている。


こういう記録として残すという習慣は、ビジネスマン時代も同様で、勤務した部署ごとに実行した仕事に関する報告書(札幌空港支店白書・ロンドン空港労務事情・客乗白書・おおぞらweeklyなど)や本という形での記録を作ってきている。また、学生時代も卒業時の総括文章、クラブ活動での実績も報告書(八重山群島遠征報告書など)という形で残っている。


よく考えると、もの心ついてから記録をつける、記録を残すということを続けてきたといえるかもしれない。この人生行路の記録の効用は大きかったという気がする。その都度全力で取り組んできたプロジェクトや仕事の報告書や著書などは、うまくいかなくて落ち込んだ時にははきりした形で残っているこれらの記録によって波を小さくすることに役立ったように感じている。形に残っていなければ長い年月も「夢幻のごとく」なってしまうのではないだろうか。10年という歳月は長い時間であるが、過ぎてしまえばあっという間である。思い出だけが脳裏に残るということなら、儚い感じがする。


振り返ってみると、こういう習慣というか習性は、大学時代のクラブ活動の影響かもしれない。大学時代は探検部というクラブに所属していた。このクラブは山、離島、鍾乳洞、外国、などに出かけて行くのだが、途中必ずメモを取ることが義務づけられる。登山で急勾配を登って一休みする合間にも記録係はポケットから手帳を出して時間と途中気がついたことなどを書く。冬山などでも手袋を外してかじかみながら鉛筆を走らせる。


この世界では「記録がなければ探検ではない」という考え方がある。帰って来ると必ず報告書を出す。それが習性としていつの間にか身について、世の中に出てもその路線上を走ってきたということかも知れない。この習慣がついたことはありがたいことだと感じている。


報告書、著作、そしてウェブ、ブログという形で今後も記録が積みあがっていくことになるだろうが、それが私という人間が生きた証となるということなのだろう。