連載「団塊坊ちゃん青春記」1----探検部以前1

私が大学に入学したのは昭和44年。この前後数年間が最も激しい大学粉争のうずまいた時期でした。佐世保への原子力潜水艦エンタープライズ入港拒否闘争、東大安田講堂バリケード、そして機動隊の実力行使による落城、東大入試の中止事件、そして私の入学した九州大学でも数々の事件がありました。入学試験の二日目の過激派学生による試験場の占拠、予備校での入試続行、入学後は、5月に全学の無期限ストライキへの突入、大学の講内では、白ヘルメットの中核、白ヘルに黒いフチどりの革マル、青ヘルの反帝学評、赤ヘルノンセクトラディカル、日共系の民青、理論派の第四インターと多種多彩な考え方の一団がカッポしていました。私自身は、クラスの仲間と一緒に、ノンセクトをきどっておりこのような青春の熱気のムンムンする雰囲気の中でとまどいながら、クラス討論会に参加するという日々が続いていました。


入学後一年間は、丁度大学が学生の手でその権威をこなごなにくだかれたように「いい子」で育ってきた私の自信を根こそぎゆるがされるという体験をした時期でした。

学生運動面では、しだいに過激になっていく運動、学内で日常の出来事となってしまった内ゲバ、歯のなくなってしまった活動家、血しぶきをあげながらこづきあうヘルメット集団、そして何よりもこのような状況の中で自信を持って発言できる言葉を持たない自分へのいらだち、自信喪失。下宿に帰ると毎日の様に様々な考え方の学生が訪れます。中核、革マル、反帝学評、第四インター、民青、そして創価学会等々。何が正しいのやら全くわからなくなってしまった私は、クラスの討論会などでも口を閉ざしてしまいました。ものがしゃべれなくなってしまったのです。


大学にはもう一つの青春があります。それはクラブ活動です。受験勉強中になまってしまった体をきたえようと私が選んだのは、ワンダーフォーゲル部でした。春の新人歓迎合宿では「こんな苦しいおもいをするなら死んだ方がましだ」と感じながら、山々を縦走しました。その時私は、自分はかなりタフな身体を持っているなと思いました。夜はメシを食いながらトランプに興じたり、山の歌をうたって楽しくすごしました。学園紛争の中で閉塞状態にあった私は、クラスの仲間には申し訳なかったけれども、夏には北アルプス縦走班に入り、2週間近く山々を歩きまわりました。富山から入って雲の平、槍ケ岳、穂高連峰を経て上高地へ。しかし、このワンダーフォーゲルという部も何かもの足りません。山で楽しく遊ぶだけで良いのだろうか。過激すぎる学生運動には主体的に参加はできず、クラブの方もどうも自分向きではないというか、没頭できないのでした。そして何に対しても自信のなくなってしまった私は、いよいよ無口になってしまいました。(以下、明日へ続く)