寺島実郎「20世紀から何を学ぶか(上)--1900年への旅 欧州と出会った若き日本」(新潮選書)

2000年に新潮社から刊行された「1900年への旅--あるい道に迷わば年輪を見よ」に2007年現在の時点で加筆・修正を行ったものが選書として出版された。この本が寺島実郎著「20世紀から何を学ぶか(上)--1900年への旅 欧州と出会った若き日本」である。




21世紀を前にして百年前の1900年に視座をおいて、再考すべきテーマをその歴史の現場に足を運び、一つ一つ積木細工のように思考を積み上げ、総体としての時代認識を構築しようとしたと著者は述べているが、今になって思えば壮大なスケールの構想と実行であった。「着眼大局、着手小局」という囲碁の言葉があるが、この連載が始まった今から10年ほど前の「フォーサイト」を読んでいた頃は著者の頭の中は見えなかったが、2000年に一冊の本に凝縮された時、感銘を受けたことを思い出した。

「アメリカを理解しようというのなら、欧州を訪れて欧州からアメリカを観察しなければだめだよ」という示唆を受けた著者は、この体験を踏まえて「知的三角測量」、「知的遠近法」という言葉を発明している。知的三角測量とは地理軸でものごとを立体的にとらえようとする試みであり、知的遠近法とは知的三角測量を踏まえて歴史認識の射程を長くとり、かつ地理的空間軸を広くとる方法論である。著者が常に言っている「歴史と地理」という視点を具体化する豊かな方法論である。


「1900年 パリ」から始まったこの本は、ロンドン、ウイーン、ローマ、マドリッド、ハーグ、サンクト・ペテルブルク、ベルリン、そしてバルセロナにて「旅の終わりに」を迎える。それぞれの章では、日英同盟(1902年)から日露戦争(1904年)直前の世界という背景の中で、欧州各国の当時の政治状況を包括的に的確に示し、その中で各国と関係を持った日本人の事跡を訪ね、20世紀の幕を開いた人々を注視し、思索を深めていく。

読者は膨大な資料を読み込んだ上で著者が語る欧州各国をめぐる近代史の講義を受け、その中で鎖国を解いて間もない若き日本人の格闘を真近に感じることができる。それは著者自らが歴史の現場に目的意識を抱いて足を運んで得た感慨を伝えてくれるからである。著者の構想力と行動力には驚きを禁じえない。


日本海海戦の天才参謀・秋山真之、文豪・夏目漱石、横須賀造船所をつくった小栗上野介、日本近代化の啓蒙者・福沢諭吉三井物産初代社長・益田孝、最後の元老西園寺公望、日本逓信の父・寺島宗則、日本のイメージをつくった川上音二郎、在野の大博物学者・南方熊楠、黒い瞳の伯爵夫人・クーデンホーフ光子(青山光子)、ロシア革命を誘発した明石元二郎軍神広瀬武夫、日本外交の立役者・小村寿太郎、軍人と文人の葛藤を生きた・森おう外などが登場し、100年前後に欧州に関与した日本人の生身の姿を彷彿させる。


また、これらの日本人と関与し、あるいは影響を与えた欧州各国の偉人も多数登場する。ピカソマルクスケインズ、クーデンホーフ・リヒャルト、ヒットラーフロイトヨハネパウロ二世、ムッソリーニフランコオルテガ、ウイッテ、ビスマルク、ガウディ、、、。


私たちは事実の羅列と後講釈で埋められた歴史書と、ある時代に生きた人物に傾斜した小説の中で歴史をみてきた。また、国ごとの直線的な歴史の寄せ集めとしての歴史を学んできたように思う。司馬遼太郎歴史小説が多くの日本人の心をつかんだのは、時代と個人の関わりあいのバランスに共感を覚えたからだろう。

著者は、1900年という歴史の転回点で欧州に視点を定め輪切りにしながら当時の日本人を描き、時代と個人との関係の集積である歴史をつかまえようとし、そして見事に成功させている。


機会あるごとに世界各地のアンティーク市場を訪ね、万国博覧会関連の歴史的資料やグッズを集めている。幕府のフランス使節らが泊まったグランドホテルに数回宿泊してみる。ミュージカル「レ・ミゼラブル」を何度も観ている。ロンドンの漱石の下宿跡への訪問。ダイアナ妃の葬列をみる。川上一座の復刻CDを取り寄せじっくりと聞く。この本を書くための欧州各国への頻繁な取材旅行。繰り返し堪能した「ラマンチャの男」。当時のメディアの検索と解読、、など若い頃からの志と日々の蓄積が今日の著者をつくったという事実に納得する。


この本は、キーワードの連鎖でできあがっている。カッコ書きのキーワードは誰でも断片的に知っている言葉や概念が多いが、それらが深く結びつきながら新たな像が結んでくる。それは、膨大な書物の読破と結論の抽出という気の遠くなるような忍耐力と継続力の賜物である。

またこの本の特色の一つは、現代の課題との関係で1900年をみているということだ。著者の現在と未来を考えるという問題意識は一貫しており、コソボ、、クリントン、ブレア、NATO、ロシア、社会民主主義、インターネット、超大国アメリカの動向などに関する考察が導き出されており、思考の軸はぶれていない。



「1900年への旅」という原題の本は、このたび「20世紀から何を学ぶか」というタイトルになって登場したが、このことによって読者は著者の目線の先にある像をより強く意識できるようになった。読者は読み終えて同時代を生きる寺島という巨大な知性とともに歴史の旅を重ねた思いがするだろう。

歴史書であり、人物論であり、警世の書であるこの本は、寺島実郎という人物が渾身の力を込めて書いた書物であるということができる。日々の精進とこういった仕事の丹念な積み重ねが今日の寺島をかたちづくっていると改めて感じることになった。