函館二日目---石川啄木、土方歳三、金子鷗亭

2007/09/01


大森海岸沿いにある(1886ー1912年)が和服姿で頬杖をついてもの思いにふけるブロンズ(青銅)像がある。
歌集「あこがれ」を持ち、下駄履きの袴姿である。この小公園は海岸沿い、道路沿いに長いのだが、ちょうどカモメが飛ぶルート上にあるようでひっきりなしにカモメが啄木の頭の上を優雅に飛んでいく。
「潮かおる北の近辺の
 砂山のかの浜なすよ
 今年も咲けるや」
「砂山の砂に腹這い初恋のいたみ
 遠くおもひ出ずる日」

西条八十の啄木に捧げる歌碑があった。
「眠れる君に捧ぐべき
 矢車草の花もなく
 ひとり佇む五月寒
 立待岬の砂ただひかる」

この小公園の脇に「函館記念館 土方・啄木浪漫館」が建っている。この記念館は株式会社味の豊の設立二十周年記念で建立したものである。
2階が啄木、一階が土方歳三関係の資料を展示してある。
小劇場があり、故郷の渋民村の代用教員だった時代の石川啄木の先生姿と数人の子供たちのほぼ等身大の人形姿をした人形が動くというしかけである。啄木はなかなかの好男子である。その啄木の紹介で短い映画をみることができる。
啄木は三行歌を発明し、その器に多くの名歌を盛り込んでいる。
「頬つたふ
 なみだのごわず
 一握の砂を示しし人を忘れず」
「小奴といひし女のやはらかき耳朶なども忘れがたかり」
  (明治40年1月19日の新聞で「ひっそりと死んでいった小奴 啄木の愛人」と紹介)
「はこだての青柳町こそかなしけれ
 友の恋歌
 矢ぐるまの花」
「東海の小島の磯の白砂に
 われ泣きぬれて
 蟹とたはむる」
「しらなみの寄せて騒げる
 はこだての大森浜
 思ひしことども」
啄木が愛した大森浜は、やわらかい風、潮騒、白い砂、カモメの飛翔、そして子供をはさんで両親が左右で手を握っている姿など、印象に残る浜だった。啄木はの生涯は短く26歳でこの世を去っている。

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一階は新撰組土方歳三(1835-1869年)の資料展示。
19歳の時に天然理心流の近藤周助・勇(養子)の門に入り多摩一帯を巡回指導。
29歳、清川八郎下の浪士隊に入り、後に離れ新撰組を名乗る。
30歳、池田屋事変で切り込み隊長。
34歳、鳥羽伏見の戦いに参加
   負傷した近藤に代わり指揮
   仙台にいた榎本武楊(1836年生まれ)軍の群議に参加
   榎本と蝦夷に出航
   函館占領
35歳、一本木で
   「新撰組土方歳三、これより黒田参謀を斬る」と叫んで戦い、戦死する。

函館新政府の組織表、愛刀「疋定」、説夢録(石川忠恕)、ゲーベル砲、ガトリング銃などの展示。

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五稜郭。1864年竣工。設計・監督は武田甲斐三郎。
まずタワーにのぼり上から五稜郭の形を確認する。
五稜郭は海外ではロシアのサンクトブルグ、フランスのカレーなどにあるが、日本では長野県佐久市龍岡城と、ここ函館にしかない。
中央は工事中で、函館奉行所庁舎の復元工事が行われていた。平成22年完成予定。
タワーの一階にある「五稜郭に立つ 土方歳三」像は、乗馬用の無知を片手に降り立った姿の像だが、颯爽とした洋装の軍服姿の土方を描いているブロンズ像である。台座103センチ、本体220センチ(1.2倍)。
「よしや身は
 えぞの島辺に朽ちぬとも
 魂は東(あずま)の君まもらん」(土方の辞世の歌)
土方歳三は人気が高い。司馬遼太郎の「燃えよ 剣」の主人公。

その後、東京ドームの5倍の広さの五稜郭を歩く。

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五稜郭の近くにある北海道立美術館で「鷗亭記念室」を見学。
金子鴎亭(1906−2001年)は松前出身の書家で、「近代詩文書」を提唱。
啄木の歌と水原秋桜子の歌を書いた鴎亭の書が展示されていた。
ゆるやかな仮名文字、人の体の線をなぞったような漢字、、。
この人の書は、江戸東京博物館井上靖記念館、史蹟松前城国木田独歩詩碑などの題字になっている。
「芸術には進化はないんです。芸術は変化があるのみです」
毎年見ている全国戦没者追悼式の標柱の揮毫はこの人の書だった。
1952年に第一回を書き、1963年から1993年までの実に31年間にわたって書き続けた。1952年の57歳から、最後に書いたのは88歳の時だった。
60歳頃からは毎朝5時に起き散歩をして健康状態をベストにしてこの仕事を続けようとした。
この人によれば、「明」という字は、窓から月の光がさしこんでものが見えるという意味だそうだ。
「金子鴎亭--近代詩文書の開拓者」(斉藤千鶴子・北海道新聞社・ミュージアム新書)を購入したい。

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トラピスチヌ修道院。1978年8名の修道女によって開かれた。
修道女の生活は午前3時半起床、午後7時45分就寝。
私の理想の生活かもしれない。

夜は60分のベイクルーズ。