「目覚めよ仏教!--ダライ・ラマとの対話」(上田紀行)を読む

対談という形式の書物の魅力は、互いが相手の言葉に触発されて思想が発展し、深みを増すことがビビッドに見えることである。分野が重なる対談も面白いし、分野が異なる対談も興味をそそられる。対談本は話言葉で分かりやすい平易な言葉を使って述べ合うため、私たちは碩学の思想の中核を把握できることがある。

ダライ・ラマという存在は不思議な魅力に満ちている。いうまでもなくダライ・ラマチベット仏教界の法王的存在であるが、ダライ・ラマは現在はインドに住んでいる。1959年、ダライ・ラマが23歳の時に中国人民解放軍チベットに侵攻し、政治亡命する。これまで百数十万人のチベット人の命が奪われている。ダライ・ラマは戦う法王である。

このダライ・ラマに「がんばれ仏教!」などの著作があり、日本の仏教諸派との対話を繰り返しながら、仏教の教えをもって日本の精神的な混迷を打ち破ろうという運動を起こしている文化人類学者・上田紀行が対談に挑んだ書が「「目覚めよ仏教!--ダライ・ラマとの対話」(NHKブックス)である。「癒し」という言葉を日本で最初に提案して話題になった上田紀行の案内で私たちは、仏教の本質と現代の仏教の意義を垣間見ることができる。ダライ・ラマとい仏教界の法王の考えに着目しながらこの書を読んだ。

意外なことにダライ・ラマ社会主義的なものの考え方に自分の思想は似ているという感慨から対談は始まる。ヨーロッパの社会民主主義を正しい方向としてみていることに驚きを覚えたが、この対談ではダライ・ラマは率直な語り口で仏教と世界を論じていく。

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人間にとって「愛と思いやり」が基本的価値であり、社会を統合しているのは法律ではなくてこの愛と思いやりである。このような深いレベルの価値を教えるのは学校教育ではなく、宗教の仕事である。

基本的にすべての宗教は同じようなことを説いているが、二つのグループがある。すべてのものを創った神の存在を信じる宗教のグループは、信仰と論理が共存しなければならないと説く。もう一つのグループである仏教では、信仰と論理は始めから両立している。すべてのものはその原因があり、それによって結果が生じているという論理的な認識から仏教は出発している。

現代の仏教徒仏教を宗教としてではなく、「心の科学」という観点から見ていくことが大切である。小乗仏教では自分を救うことが大切であり他の命あるものは害さないということをいうが、大乗仏教では他者を助けて世界を幸せにしようと説くから社会性があった。
社会問題の解決が宗教の課題であるから、慈悲のこころから生じている「怒り」はもつべき怒りだ。憤怒の姿の不動明王衆生に怒っているのではなく、衆生の間違いを諭すという思いやりを表現している。

仏教の教義を学び知識を得る段階と、それを実践修行につなげるという段階がある。知識と実践を結びあわせることが非常に重要である。

創造主がすべてを創ったのではなく、仏教は果関係で捉えていく。物事はそれ自体で存在しているのではなく、相互依存関係にある。「空」とは、すべてもものはその因と条件に依存しているだけである」という捉え方だ。原因を滅すればその結果としての問題は解決する。

仏教の教えを科学的な知見と関連づける努力が必要だ。怒りは免疫機能を低下させる。逆に慈悲の心や思いやりは心の平和をもたらすから免疫機能を維持し高めることになる。科学的な知見に基づきながら、仏教の教えを完璧に説明しきることが必要で、それが現代における正しい方向である。仏教のシステムは現代においても機能し、活かせる。

まず自分自身に思いやりを持ち、それを多くの人たちに向けて広げていくことが大切だ。

神の存在を受け入れている宗教は、個人の自信やプライド、創造力を失わせてしまう。修行を積んでブッダになるということは、自らが世界を創りだすという考えであり、個人の主体性を強く問う教えである。

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世界は因果関係でできている、知識と実践の結合、愛と思いやりの教え、社会の変革への主体的な関与、仏教の教えを科学的に説明する努力を仏教界はすべきである、キリスト教仏教の本質的な違い、など違和感はなく、共感や納得できる部分が多かった。

この本では上田紀行による堕落した日本仏教界の現状批判と問題意識が根底にあって、それを乗り越えていくための処方箋を得ようとする努力が通底している。実践に向けての改革のための書であるとの印象を強くした。

上田紀行さんとは一度会ったことがある。もう7−8年前になるだろうか、奥さんの竹内陶子(NHKアナウンサー)さんが野田一夫ファンクラブの仙台での集まりに参加したときに一緒に来られた。松島で食事をしたり、翌日は平泉を案内した。陶子さんは感性がみずみずしい魅力的な女性であったし、上田さんはゆったりした雰囲気のいい人物だった。その後の活躍を横目にみていたが、今回この書を読んで行こうとする方向を知ることができた。思索と実践の相互作用の中で、今後多くの実りがでてくるだろうと期待される。