お墓からピラミッドへ---人生をテーマとしたウェブサービス



googleで自分の名前を時々ひいてみると、インターネット世界における自分の存在が見えてくる。新しいサイトが見つかると自分のうわさをしている内容を見ることができる。これも世間である。
googleでは定期的に機械的にサイトを巡回しているようで、数時間おきにヒットする数字に増減がある。7万ほどあった数字が5万台にまで下がっていたが、最近また増えてきて今日の段階では8万を超えてきた。
引っかかる情報の量がその人の時価総額であるという考え方もあるから、大事な指標としてとらえていきたい。


ところで、人生そのものを考えるウェブサービスがアメリカで出てきている。

もともとブログなどは結果的に自分史となっていくサービスであるともいえるが、こういったサービスでは亡くなった友人や家族の写真・職業などが具体的に立ち上がってくる。これはわば墓地にある多数の墓標のウェブ版である。あるアメリカのサービスでは笑顔の人物の写真に添えてある名前の後に括弧で1927年--2001年などが記されていて、敬虔な気持ちにさせられる。

また、現に生きている人々にとってのウェブサービスも立ち上がっているようだ。
個人の詳しい年表をつくる、自分の家族の家系図をつくる、家族の歴史をつむぐ、自分のある時代ごとにブログ形式で書き込んでいく、音声ファイルとしての保存する、友人たちのコメントを保存する、家族全員に近況を知らせる、、、。
( My family,Story Of My Life,Our Story,dandelife BY TechCrunch)

自分史という分野があり、根強い人気がある。昔は年配者の趣味という印象があったが、最近では若い人にもそのブームは静かに浸透している。私はこの10年間、大学の授業で若者に自分史を書いてもらうという実験を続けてきた。わかったことは20歳の学生にもその時点までには山あり谷ありの困難な人生があるということである。そして書き終えた感想を読むと、過去を踏まえて未来を展望する人が多い。つまり自分史は未来のために書くという意義があるのだ。

ブログを持つこと、書くことに参加する人が多いのは、日本人に日記を書く習慣があったからだと思う。若者を中心に新しい形式で日記文化が復活しつつある。それは人生を深く考える習慣の復活ということだ。

ホームページをつくり始めた頃、これは「お墓」であると感じた。自分の日々の情報をどんどん入れることによって、自分の実態が目に見える形で立ち上がってくる。毎日お墓を造っているという感覚である。自分が死んでもホームページを残すことができたら、これは故人をしのぶ格好のものになるだろう。

先に述べた最近のウェブサービスの多彩化で、写真や文章だけでなく、音声や映像まで取り込んで、自分一人だけでなく家族という広がりや、先祖という時間軸にまで、情報が及んできつつある。こうなると墓石や墓標が並ぶ墓地のイメージではなく、ピラミッド群のようだ。偉大なファラオしか持てなかった死後の世界であるピラミッドを、誰でも持てる時代になったのかもしれない。

書き終えて、偶然だが今日はあの「9・11」だったことを想い出した。