「豆腐屋の四季」の松下竜一と中津(朝日新聞 be)

22日(土)の朝日新聞の「be」で「松下竜一と洋子--豆腐屋の四季」という表裏2ページの大きな記事が載っていた。

作家・松下竜一は、1937年に生まれ、2004年に亡くなった。私の出身高校の先輩にあたるが、成績は一番だった。しかし大学進学を母の急死であきらめ家業の豆腐屋を継いだ。その日々を文章と短歌で綴った「豆腐屋の四季」という本は話題になり、連続テレビドラマになった。このときの主役が同じ歳の緒方拳だ。顔が似ているこの名優の演技で「豆腐屋の四季」と松下竜一は世に知られることになった。
「我が愛を告げんには未だ推さなきか君は鈴鳴る小鋏つかう」は妻の洋子さんに贈った歌だ。

豆腐屋を廃業し33歳で作家となった。1973年から火力発電所建設への反対運動に取り組んだ。後に「ルイズ−−父に貰いし名は」で講談社ノンフィクション賞を受賞した。この人の書いた「疾風の人」で中津の増田宋太郎を描いたが、この小説を読んだことがある。2004年に亡くなったときには市をあげて偲ぶ会などが開催されて、遠方からも多くの作家などが駆けつけたと聞いている。40冊以上の本を書いて、生前に「松下竜一 その仕事」30巻が河出書房新社から出ている。
松下さんのことはいろいりな人から聞いていたが、残念ながら会う機会はなかった。


この記事の中で故郷の中津は下記のように紹介されている。
英彦山から耶馬渓を経て周防灘に注ぐ山国川大分県中津市の河口に延びる川べりを、、
福沢諭吉が育った故郷だ
中津城黒田官兵衛が築城、形から扇城とも呼ばれている
・城下には昔ながらの白壁が残り、数々の歴史ある寺が並び、医家の史料館もある
山国川を上ると紅葉が美しい耶馬溪だ。菊池寛の「恩讐の彼方に」でしられ、禅海和尚が250年ほど前に約30年かけて掘ったというトンネル「青の洞門」もある。