毎日少しづつトイレで読み継いでいくいう本の読み方

「逝きし世の面影」(渡辺京二)を読み終わった。
江戸時代から明治後期に確かにあった日本という文明、それはすでに滅びたという著者は、外国人が残した日本に対する印象、批評、感嘆、批判、などを克明に追い続ける。「美しい国」は確かにあった、と思わせる労作、そして今日のわれわれに感動を与える名著である。

「逝きし世の面影」は毎日少しづつトイレで読むという読み方をした。1−2ヶ月はかかっているだろうか。感想は近々書くことにしたいが、この読み方は少しづつ身についていくという気がしてなかなかいい感じだった。
トイレには本を置ける棚をつけているので、いろんな本を並べている。その時の気分によって手にする本も違ってくる。

もう一つの読みかけの本は、ドナルド・キーンの「渡辺崋山」(新潮社)で、こちらは半分近くまで進んでいる。この人物の生涯も興味深い。藩の練達な家老、当代一流の蘭学者、時代を切り拓いた天才画家という複雑で多忙な崋山の人生の歩みも実に興味深い。

また、新たに戦列に加わったのは、「知られざる魯山人」(山田和)という本だ。
書家、てん刻家、料理人、陶芸家。多くの敵をつくり、死後も毀誉褒貶にまみれた人物。高級日本料理時代をつくった星岡茶寮イサム・ノグチ柳宗悦青山二郎小林秀雄など魯山人と同時代の魅力ある人物群との交流。数寄者、追従者、権力者など魯山人を取り巻く面々の織り成す人間ドラマ。この本を読み終えるのも楽しみだ。