「ウェブ時代をゆく」(梅田望夫)を読む・4−−「二つの知的中間層


近年の「総表現社会」ではエリート1万人、大衆1億人という構図ではなく、この間に「多様で質の高い」中間層がいて、その数は1千万人と想定している。この層は国民の10%前後で構成されていて、日本の持つ厚みは世界一優れたものだろう。
今まで大衆の中に埋没していた中間層にとっての新しい可能性の出現が本当のありがたみだとういある女性の感想は、自分の問題意識に合致する。

この梅田の観察は、この中間層は中学高校時代には五十人のクラスの中に5人から10人のたいした人物がいたというクラスの構成が根拠になっている。その人たちがネットという新たな武器を持って発言し始めたというわけだ。

私は九州の6−7万人の市で高校時代までを過ごした。都市化が進む前だから当時の日本の平均的モデルと考えてもいいのだろうか。中学校では人数が多く教室は満杯だった。確か55人クラスで1学年7クラスあったと記憶しているから同級生は385人ということになる。当時は「成績」が常に話題の中心だった。今では考えられないが擬試験の順位を1番からビリまで全員廊下に貼り出したりしていた。こういう状況だったからすぐに成績でグルーピングする癖がついてしまったようだが、「たいした人物」を成績であらわすことを許してもらいたい。

エリート1万人は少なすぎるから、ここではエリートを1%とすると全校で5番以内、10%は50番以内だからクラスで5番から10番ということになる。

中学時代の友人の顔を思い浮かべると、全校5番以内のエリート(つまりクラスの1番)は尊敬を集める秀才であったし、クラスの上位一桁も確かにひとかどの人物であった。
自分の狭い経験から考えると、成績でいうと全校1番(1%)、クラス1番(3%)、クラス上位一桁(9%)、普通(81%)、それ以外(6%)という構図がイメージしやすい。この割合を示す数字はマーケティング活動の中で手にした数字を援用している。

時代の変化の兆候にいち早く気づき果敢に発言してきたのは全校1番レベルのひとであった。この人々はリアル世界や活躍している人々だ。
次のクラスで1番というグループは比較的早い時点でその兆候に反応でき、発言する機会もたまにあるという層だ。クラス一桁の人は時代の変化の流れを具体的な場面でつくりだす役割を担ってきた。

ウェブ時代でいち早く頭角を現したのはこのクラス1番の層(3%)であり、それに続いてクラス上位一桁の層(9%)が発言を始めたということかも知れない。そう考えるとこの中間層にも二つのグループがあり、前者が引っ張り、多数の後者のグループの参加によってネットの世界が豊かになってきつつあるということになるかもしれない。
この二つの層を「知的中間層」と呼んでみたい。知的中間層についてはまだ分析が必要だろうが、知的中間層の厚みがウェブ時代を切り開く鍵になるということは間違いない。