大江医家史料館

中津に帰省。

鷹匠町の大江医家史料館を訪問。
中津は蘭学発祥の地であるが、この史料館は村上医家史料館と並ぶ施設だ。
初代大江玄仙以来、代々御殿医を勤めた大江家には「医は仁術ならざるの術、務めて仁をさんと欲す」という戒めの言葉が残っている。
大江雲沢(1822−1899年)は華岡青洲の弟子筋。

前野良沢(1723-1803年)・杉田玄白らは、中津藩中屋敷の良沢の住まいで「ターヘル・ナトミア」の翻訳を行い4年後の1774年に「解体新書」として刊行した。中津の蘭学前野良沢に始まり、福沢諭吉で終わる。
「解体新書」、大槻玄沢(1757-1827年)の「重訂解体新書」の本物、「華岡青洲所診画帳」などが展示されている。

明治に入っても、日本最初の洋式歯科医・小幡英之助、外科学のパイオニア・田代基徳、整形外科の開祖・田代義徳、心臓の神経伝導系に関する研究で有名な田原淳などが出ている。
敷設の薬草園もある。
前回の帰省の折に訪ねた「村上医家史料館」と一緒に整備された施設である。

中津の医学・蘭学の関係は、一度整理する必要がある。


夜は高校時代の仲間と夜遅くまで。毎回帰るたびに恒例のとなっているが、今回は10名。
医者、建築事務所、弁理士、ハム製造会社、ビル管理会社、建築資材、保険業、、、など定年がない仕事をしているメンバーが多い。
結局、三次会まで付き合ってもらって、楽しい時間を過ごした。
二次会のバーで、評点が出るカラオケで久しぶりに歌った「コモエスタ赤坂」が91点で同点二位となったのが面白かった。