「私の伊勢物語」(久恒啓子)--母の新著が届く

一人で九州に住む80歳の母親から、「私の伊勢物語」(久恒啓子著・短歌新聞社)が届いた。
母は歌集を3冊ほど出しているのだが、10年前の70歳になって初めての著作万葉集の庶民の歌」に続く2冊目の単著である。
60代の10年間を費やした本と、70代の10年間を使った本である。60代から70代の半ば過ぎまで脳溢血で半身不随となった父の介護があったから、この本の価値は大きいと息子として思う。
どちらも季刊の同人誌に書き綴った文章をまとめたものだが、テーマ(志)を持つということの意味と、一歩一歩と歩んでいく継続することの重みを改めて感じた。

今からこの書を読もうと思うが、まず「あとがき」を書いておきたい。

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 昭和六十二年から、歌誌「地脈」に「万葉集の庶民の歌」を連載して十年、それをまとめて短歌新聞社から平成九年に出版しました。そのあと次の連載に「伊勢物語」を選びました。
 「伊勢物語」は在原業平をイメージさせる物語です。それぞれの愛のかたちを、男の元服から終焉に至るまで、時には誇張され、時には矛盾し、時には驚くべき発想を持って、虚構の中に存在するきらめくような真実を垣間見せてくrます。私の好みでドラマ性のあるものを選んで、歌誌「地脈」に連載したものを、さらに修正し、書き加えたりして、同人誌「邪馬台」に載せそれを纏めたものであります。
 紫式部光源氏の口を借りて「本当の人生、本当の人間というのは物語の嘘の中にある。嘘も悪も、よきもの美しきものと同じように人間や人生を表現するものだ」と玉鬘(たまかずら)に教える箇所があります。
更級日記」や「蜻蛉日記」は実人生を描いているようではありますが、それはその人の人間としての一面にすぎないのかも知れません。もっと普遍的な真実は物語の中にこそあると言えるのではないでしょうか。
 元駐クエート大使愛甲次郎氏は「我々の世代の後、文語を使える人は絶滅する」と言っております。彼は海外勤務五回、計十三年になりその間、英、仏、中国語と九ヶ国の日常会話に通じるようになりましたが、海外の要人と話すとき、語学力より日本文化の話をすれば身を乗り出してくるというのです。
 「外国に暮らすと日本の伝統や豊かな言語文化を再認識し、日本語の奥深い歴史、文学を知ることこそ大切なのです」と言われ、現在文語文の復活に取り組む勉強会をされているとのことです。
 「伊勢物語」は各段が非常に単純化され短く、しかも深い内容と底知れぬ面白味のある物語です。この「私の伊勢物語」を読んで少しでも古典に親しんで頂ければ幸いだと思っております。

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「あとがき」を写したら、「まえがき」も書いておきたくなったので記す。

 「伊勢物語」は、和歌を中心とした一二五段のきわめて短い物語から成り立っている。にもかかわらず質的にみると「源氏物語」にも勝るとも劣らぬと言ってよいほど面白い物語の集まりとなっている。
 平安時代の初期は、中国文化の圧倒的な影響を受け漢詩が中心となっていた為、和歌は閉め出されていた。しかし、和歌は女の心を射止めるための武器として、貴族たちの公でない場で、したたかに生きていたのである。
 「伊勢物語」のモデルといわれている在原業平は「スタイル容貌は抜群だが、行動は勝手気まま、官人に必要な漢学はないが、和歌を作る事にはすぐれていた」と書かれてある。
 「伊勢物語」はある男の「初冠(元服)の物語から始まり、最後は辞世の歌
   ついにゆく道とはかねて聞きしかどきのふけふとはおもはざりしを
で終わっている。
 物語の中には、自分を亡ぼしても悔いのない激しい恋があるかと思うと、初々しい思いもある。悲恋、失恋、成就した恋、片思いなどさまざまな恋愛感情だけでなく、親子の情、主従の信、友情の美しさ、老女へのいたわりなどなど、美しい貴石、宝石の連なるネックレスのような物語の集まりとなっている。そこには人間の真実の美しさがあり、すぐれた和歌の世界を通して、思いがけない現実味を帯びていて、虚構の中に人間の心の真実を見事につむぎ出しているのである。以下私の好みによって段を選んで書いてみた。

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