評議会メンバーによる送別会 in 仙台

宮城大学で最後の会議。

8時40分から広報室ミーティング。
10時:岩澤君といくつかのプロジェクトの進行確認の打合せ。
11時半:デュナミス塩田君とホームページの打合せ。
12時:税理士事務所との打合せ。
13時:人事予算委員会
13時半:改革委員会
14時半:評議会

評議会では、21年度8月に更新する予定の次期ネットワークに関する検討委員会の答申である基本方針を説明する。
(学長からは、最後まできちんとやっていただいた、とのコメント)
また、この2年間の図書館とネットワーク担当の総合情報センター長としての総括を報告した。18年6月に立てた方針と目標がどのくらい達成できたかという自己点検の報告である。図書の量と質の向上のための施策と成果、経営系データベースの導入、ネット障害の継続的減少の目標と達成、各種基本規程の整備、、、、。
(学長からは、久恒先生らしく数字を使っての報告だったとのコメント)

最後の評議会で、名誉教授の称号付与の議案が通り、4月からは「宮城大学名誉教授」という肩書きで仙台・宮城を中心に使うことが可能になった。この称号は終身使えるということなので、お世話になった東北で活動するときは活用し恩返しがしたい。

18時45分からは、ホテル仙台プラザで評議会メンバーの歓送迎会。
送られる人は、開学以来の同僚教授の生嶋先生(名誉教授)、病院局長に栄転する千葉事務局長と私の3人。
評議会メンバーは、学長、副学長、各学部長、各研究科長、各センター長、各学部選出のメンバーで構成される。大学の最高意思決定機関である。今日の評議会も議題が多く、また議論が分かれる場面もあったが評議会としての判断もきちんと合意できた。

私の挨拶では、まず仙台に中学3年できた娘が、本日の評議会の途中に看護師試験に合格したという連絡があったことを報告。
11年前に会社を辞めて宮城大学に赴任するときは、まず私の転身の決意があり、妻がそれにしたがい、中3と小6の子供たちを引っ張って仙台にきたこと。そのときは千葉の家を売って背水の陣できたこと。
今回の転出は、まず子供たちが東京にでることになり、妻が淋しがり始めたこと、両方の親が年をとってきたこと、その先に多摩大学の話が出てきたこと、そして宮城大学での立場や法人化直前という時期であったことなども考慮に入れた上での大きな決断であったこと。
東京から仙台にきたときは、仕事(公)を優先して家族(私)も大きな影響を受けたが、今回は家族(私)の動向から仕事(公)の場も影響を受けることになり、それでいいと私も思ったこと。公から私への変化がこの11年の変化。
大学も、公立大学から私立大学へ。これも公から私への流れかもしれない。
というような話をしながら、これまでお世話になったことに感謝した。

白石副学長、山田副学長、千葉事務局長、金子学部長、小林学部長、高木副局長、馬渡学長、鈴木副局長、遠藤教授、桑名教授、加藤教授、、などと個別に歓談し、ねぎらいの言葉や互いの本音を交わし、いい形でのお別れの挨拶ができた。