没頭と継続というひたむきな歳月

k-hisatune2008-04-20

才能を磨かず、才能を育てずして、注文のままに書き続けていると、けっして卵や雛以上には成長せず、時間の問題で朽ち果ててしまうのは自明の理である。よしんば感性の低い多くの読者に支えられて作家生命を少しばかり長らえさせることができたとしても、結局は初期の作品を超えられないばかりか、ただ単に職業としての寿命が延びただけの価値しか認めるものがない、とても残念な文筆生活に堕してしまう。
羽ばたける成鳥になるまで才能を育て得るのは、編集者でもなければ、読者でもなく、ましてや評論家でもない。むしろ、かれらこそがその真っ当な道を妨げている張本人である場合が多いのだ。書き手自身が目覚め、没頭と継続というひたむきな歳月を本気で送ろうとしない限りは、まずもって不可能だろう、そうするには、おのれの実力を他人の評価によって判断するのではなく、あくまでえ当人の眼力によって正確に冷静に把握することが肝心。その上で、少し無理をすれば手が届きそうな高さに次の作品の目標を設定し、そこへ肉薄するためのより具体的な計画を立て、果敢に挑んでゆく習慣をしかりと身に付けなくてならない。

そうした地道な努力の積み重ねの彼方に待っているのは、押しも押されもしない、真の実力に裏付けられた才能の開花である。もしくは、それよりもさらに高きを目指す、創作者として貫き通さなくてはならない姿勢の確立である。しかし、その道は険しく、行く手にはさまざまな誘惑と堕落が待ち構えている。まずは人気と人気に伴う高収入。次に名声や名誉。あるいは暴飲暴食のたぐいの不摂生。そして孤独に耐えきれない心の弱さ。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

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今日の日本経済新聞文化欄に掲載されていた作家・丸山健二(1943年生まれ)の「尽きない文学の天空」の最初の書き出しである。この作家の作品は読んだことはないが、この文章には心を動かされた。
40代後半に狙いをつけた長編小説。テーマも構想も充分だったが敢えて書かなかった小説が60代半ばでようやく完成したという。「あれくらいの長い年月を費やさなければ、これくらいの作品は書けないのだということが、また、この喜びを味わうための四十数年んお助走であったということが実感された」というその作品を早く読みたい。