吉行淳之介文学館

k-hisatune2008-04-27

静岡から新幹線ひかりで一駅先に掛川市がある。山内一豊が城主だった時代もある街だ。タクシーで行き先を告げると山に向かってまっすぐに走っていく。途中はお茶畑の連続である。お茶は昼夜の寒暖の差が必要だが、霜が大敵らしく、小型の扇風機らしきものが目に付いた。防霜ファンという名前だった。静岡県はお茶で有名だが、それだけでは食べていけないので、就業者は減りつつあるそうだ。
山あいの美しい緑の木々に囲まれた和風の落ち着いた建物に着いた。吉行淳之介文学館である。入り口を入ると暗い空間の中に庭の緑と明るい光線がまぶしく目に入る。木の香りがする大空間にはピアノが置いてあり、その脇から音楽が流れている。ソファに座ってテーブルの上にあった吉行淳之介特集の載っているサライの2007年3月15日号を手に取った。「ダンディズムを貫き通した機微の人」というタイトルだった。縁のあった作家たちが吉行をテーマにエッセイをかいている。瀬戸内寂聴によると健康雑誌を隅々まで読むという趣味が一致していたそうだ。
吉行の母はNHK連続テレビ小説のモデルとなったあぐりで、11歳年下の妹は女優の吉行和子だ。和子は病弱な兄という表現で兄の思い出を語っている。
安岡章太郎遠藤周作三浦朱門曽野綾子などと並んで第三の新人と言われた吉行淳之介は、「人生が仕立ておろしのセビロのように、しっかりと身に合う人間にとっては文学は必要ではない」と述べている。一方で「持病というものは飼い馴らして趣味にするより仕方がない」と病弱の運命を悟った言葉も遺している。
大き和風のダンディな空間の中には上質な時間がゆったりと流れている。
吉行淳之介は23歳のときにある女性を入籍しているが幸福ではなかった。33歳のときに3つほど年下のミュージカル女優宮城まり子(1927年生まれ)と出会う。「私はM・Mに惚れたのであり、、、一人の女性に惚れたという情況が私の文章にうるおいを持たせた、、」と語っている。
復元された書斎の机の上には神楽坂山田屋の原稿用紙があり、その上にてんとう虫の置物が置いてあった。死ぬまで愛用していた中学生用の椅子の脇にもてんとう虫の足置きがある。机の前には浜口陽三のこれまたてんとう虫の絵が飾ってある。本棚を覗くと谷崎潤一郎室生犀星、島尾敏夫、臼井吉見渋沢龍彦などの全集が並んでおり、吉行の好みがわかる気がする。源氏物語の訳は、与謝野晶子田辺聖子などのものがあるが、瀬戸内寂聴のものを置いてある。
この文学館に置かれた吉行の小物などには必ず宮城まり子の言葉が添えてある。
吉行は病気の宝庫だった。アトピー、喘息、腸チフス、結核、躁と鬱、白内障、乾癬、肝炎、、、。病気と闘い、入退院を繰り返しながら、膨大な作品を描いた。よく70歳まで生きたという感じもする。
この作家は作品に対しもらった賞が実に多い。二度の候補を経て30歳で受賞した芥川賞(入院のため受賞式は欠席)を始め、新潮社文学賞芸術選奨賞、谷崎潤一郎賞読売文学賞野間文芸賞芸術院賞、講談社エッセイ賞。作品を構想する力が大きかったということだろう。また各賞の選考委員も多い。文学界新人賞、文芸賞、太宰治賞、泉鏡花文学賞川端康成文学賞野間文芸賞などの選考委員をつとめた。同業の作家からの尊敬を集めていたのだろう。
写真に映る吉行は憂いをまとった姿が多い。ハンサムである。かなりの割合で煙草を吸っているヘビースモーカーだ。それも様になっている。多くの女性が惚れたし、今なおファンが多いのにも納得する。
吉行は病気と伴走しながら多くの作品を書いた。「驟雨」「不意の出来事」「「星と月は天の穴」「暗室」「「鞄の中身」「夕暮まで」などが小説の代表作だが、エッセイの名手でもあった。「軽薄のすすめ」「悪友のすすめ」など一連のエッセイも人気があった。総計で200冊を超えている。怒涛の仕事量である。
恋人まり子への手紙が掲示してあった。
広い文学館だが、天井は各部屋ごとにそれぞれ異なった工夫が凝らされている。三角形に張り出した空間の先の小さな場所からは庭の緑が心を和ませる。
「帰ってきたら、君のヒコーキの中の手紙が着いていて、胸がきゅんとなった。好きだよ。」
「君と離れていると、気持ちが荒んで困ってしまっている」
吉行淳之介の作品は今まで読んだことはなかったので、「鞄の中身」を買った。最初の短編の「手品師」を読んだ。もろくはかない青春の一こまを描いた叙情豊かな作品だった。
建物といい、遺品の配置といい、能を催した庭の見事さといい、見事である。ハードだけでなく、ソフトに優れていると感心した。宮城まり子の配慮が隅々にまで行き届いている上質の空間であり、宮城まり子の愛が吉行を包み込んでいる。
吉行淳之介を記念した文学館であるが、宮城まり子の記念館であるとの印象も濃い。

(この文章は一回書いたのだが、とんでなくなってしまった。もう一度気を取り直して書いたもの)