「私塾のすすめ」(斉藤孝・梅田望夫)

梅田望夫の対談本の第3冊目は、同じ1960年生まれの斉藤孝との対談である。
このブログで何回かに分けて、感想をしるしていきたい。

私は3年以上にわたって「人物記念館の旅」を続けている。対象となる偉人は明治・大正・昭和という近代から現代の時代をメインと定めているのだが、結果として圧倒的に明治時代の偉人が多いことに気づく。
斉藤孝も梅田望夫も明治時代に関心が高い。イギリス社会の成り立ちを知ろうとすればビクトリア時代を調べると実りが多いように、どのような国であれその国の最盛期にいたる過程で社会の骨格がつくられるから、近代日本の場合は明治に着目するのは自然なことなのだろう。

偉人伝の読み方として斉藤孝は「その人が、どういうふうに学んだのか」をポイントとしている。梅田望夫も「学び続けることの大切さ」に行き着いている。学び方が人の将来を決めるということなのだろう。長くビジネスマンの勉強会である知的生産の技術研究会という装置を持って各界で一流の実績を挙げた人の話を随分と聞き続けてきたが、その人物が到達した世界そのものよりも、どのように学んできたのかという姿勢や方法に着目してきた。どのように彼らは学んできたのか、その方法や技術に関心があった。

私淑、縁、志、、、、。こういったやや古い言葉が対談で出てくるが、私の「人物記念館の旅」においても修養、鍛錬、研鑽という時代遅れと思われる言葉が浮かび上がってくることを経験している。
明治を創った人々を育んだ私塾という世界は、学びの中で人物を磨いていくという側面を持っている。世界的人格ができて初めて世界的絵が描けるといった横山大観などにみられるように絵画、音楽、実業などあらゆる世界でそういう人格主義の空気が日本にはある。吉田松陰松下村塾(萩)、広瀬淡窓の咸宜園(日田)、亀井南瞑・昭陽父子の甘とう館(福岡)といtった塾を訪ねてみると、私淑、縁、志、修養、鍛錬、研鑽という一連の言葉に深く納得する。

過去の偉人伝に加えて情報技術の爆発の時代に生きる私たちはウェブという武器を手にしている。ここには同時代を疾走する優れた人たちの事跡やそこから産み出される珠玉の言葉が無造作に置かれている。ほんの少しの努力で時代のフロントランナーたちからオーラをもらうことができる時代になった。

斉藤孝は、ポレオン、嘉納治五郎ゲーテという歴史上の人物をロールモデルとしてあげているが、梅田は同時代を生きている人の名前を挙げている。そのうち二人は、生き方という意味でのライフモデルとして今北純一、生活という意味でのライフモデルとして村上春樹である。私は今北さんとはあるグループの仲間であるし、村上さんともある仕事でご一緒したことがあるが、本やウェブから醸し出される梅田望夫の人柄と通じるものがあるように感じている。ロールモデルとして選ぶということは、その人のライフスタイルやワークスタイルに共鳴しているということだろう。
ワークライフバランスという言葉がある。ワークとライフのバランスの回復を図ろうという趣旨だが、この二つは対立的な概念ではない。ライフの中にある重みを持ってワークが存在してるはずだ。

斉藤孝は教育という現場と書物から学び、それを講義と執筆に生かす。梅田望夫コンサルタントという現場とウェブから学び、それをウェブによる情報発信と執筆に生かす。どちらも自らの信じる現場を大切にしながら書物とウェブという異なる武器を駆使しながら大きくなっていくという学びと成長のサイクルの中にある。
「オープンにしながら、雰囲気をよくしていくということに、新しいリーダーシップの要諦がある」と梅田はウェブ時代のリーダー像を語っている。情報をわかりやすく提示し、関係者の持つ情報を吸収し、全員で合意を形成していくやり方が今後のリーダーのあり方だと思う。ウェブに限らず、現実の仕事の場面においてもそういう空気を醸し出せるやわらかなリーダーシップが求められている。

斉藤孝は、訴えかける対象はゼロから百歳までと言い、日本人全員を相手にしている。みんな必ず伸びるという信念のもと、学校教育と著作を通じて日本人全体の底上げに使命感を持て取り組んでいる。これに対し梅田は、上を伸ばすことに興味があるから、発信する対象は比較的狭い。「打てば響く子」「目を輝かせている子」を世界レベルにまで引き上げることに関心を寄せている。日本の学校教育に期待はまったくない。大学というビジネスモデルはすでに終わっていると確信しており、世界を切り拓くリーディングエッジを育てることが大事だと考えている。

斉藤孝は1997年から2007年の11年間で263冊の著書を刊行しており、ピーク時の2005年には67冊を世に問うている。対象読者年代別、分野別にしたりして、バリエーションを増やし全世代に伝え切ろうとしている斉藤の使命感を感じる仕事量である。発散という回転に入ったからこの流れはしばらく続くだろう。対して梅田望夫は共著も含めて6冊という寡作のスタイルを貫いている。じっくりと納得のいく仕事を積み上げていく。

同い年であるが、不思議なことに斉藤孝はネット世界に住んでいない。舌禍事件を起こすのではないか、ネットで炎上が起きるのではないかと恐れており、念のいったことに読者からのはがきは批判的なものは事前に編集部にカットしておいてもらうなど、自分に対する批判を聞きたくないところがある。梅田は「ブログに書いたものを一回ミキサーにかけて、完全にどろどろになったものを、本の素材とする。発展途上の思考をブログで出し、膨大なフィードバックを受けて、自分の思考を練っていく。最後に本の形にする」という梅田は、賛否両論のあるネット上の感想は忍耐強く全て読んでいる。ここに新しさと独自性を感じる。

今回の対談においても性格、気質というものが考え方に大きく影響を与えていると感じた。やや懐疑的な体質を持つ小説家・平野啓一郎、エネルギッシュな行動家・茂木健一郎、そして膨大な仕事を情熱を込めてこなし続ける学者・斉藤孝。こういった人たちとの対談で梅田望夫の考え方、情報や世界との付き合い方が滲み出てくる。成功、喝采、業績という言葉に強く反応する斉藤孝に対し、梅田望夫は、考え深く慎み深くそして丁寧に議論に参加している。こういう態度も若い人たちから支持を得ている要因の一つだろう。

村上春樹の出現によって村上龍は短編よりも長編を書くことに存在価値があると感じて仕事の方向を定めていったように、こうした対談を通じて相手との比較の中で特質が際立ってくるから、互いの仕事の方向にも微妙に影響を与えるだろう。

この対談でもわかることだが、独特の生活からしか独創は生まれないと思う。