「生誕120周年 小泉信三展」の言葉から

k-hisatune2008-05-16

三田の慶応義塾大学の旧図書館で開催中の「生誕120周年記念 小泉信三展」を観て、この人物の生き方に深い感銘を受けた。
小泉信三は、若き日には「慶應麒麟児」、戦後は「日本の良識」、そして没後は「勇気ある自由人」と呼ばれた。この企画展は、「父の肖像」、「よく学びよく遊ぶ」、「常に学生と共に在る」、「善を行うに勇なれ」、「勇気ある自由人」、「愛の人」、「終焉と継承」という七部構成で全生涯を説明している優れた展示だった。慶應の関係者らしき人が多数訪れていた。この空間で尊敬と涙の交差する深い時間を過ごした。帰りに「読書論」(岩波新書)と「青年小泉信三の日記 東京-ロンドン-ベルリン」を買う。

詳しい報告は別途書く予定だが、ここでは慶應義塾の元塾長をつとめた小泉信三(1888-1966年)の残した、あるいは用いた言葉のみを記しておきたい。

母校を愛するものは国を愛す
善を行うに勇なれ
我より古(いにしえ)を作(な)す
人間を幸福にするもの。 一は、  の行動を導く何等かの道徳的基準、二は、よき家族と友、三は、己の存在を有意義ならしめる何等かの仕事、四は、或る程度の閑(レジャー)とその閑の或る使い方、これである。(グレイ)
練習は不可能を可能にする
福沢の教えは、人間の尊厳、科学的精神、日本の独立。
独立の気力なき者は国を憂うこと深切ならず(学問のすすめ
吾々両親は、完全に君に満足し、君をわが子とすることを何よりの誇りとしている。---同様に、若しもわが子を択ぶということが出切るものなら、吾々二人は必ず君を択ぶ。人の子として両親にこう言われるより以上の幸福はない。-----また、吾々夫婦の息子らしく、戦うことを期待する。        信吉君  父より

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その足で、両国の江戸東京博物館で開催されている特別展「ペリーとハリス 泰平の眠りを覚ました男たち」と常設展「山本寛斎、日本の美 熱き心展--寛斎主義」を観る。
隣の両国国技館では大相撲五月場所が開催されていて、相撲取りがゆったりと歩く姿を見かけた。