映画「丘を越えて」−−菊池寛の物語

先日、シネスイッチ銀座という映画館で「丘を越えて」を観た。
一世を風靡した同名の歌謡曲を作詞した詩人・島田芳文を論じた評伝「青春の丘を越えて」(松井義弘)という評伝を読んだ後だったから、興味を持った。島田は私の故郷の隣町である豊前市の出身である。ちなみに作曲は古賀正男である。

丘を越えて行こうよ 真澄の空は朗らかに晴れて 楽しい心
鳴るは胸の血潮よ 讃えよわが青春を いざ行け遥か希望の丘を越えて

この映画は人気作家であり、芥川賞直木賞の創設者でもある菊池寛が主人公だった。現代の生活や文化の原型が誕生した昭和初期の物語だ。江戸情情緒の残る東京・竜泉寺に育った葉子は、文芸春秋社の社長・菊池寛の秘書になる。世の中の矛盾を一身に背負った巨人と若い朝鮮出身の編集者に惹かれる葉子との物語である。江戸時代の名残りとモダンさが混在する昭和初期の雰囲気を感じることができる映画だった。
菊池寛は高松に生まれ、新聞記者を経て小説家になり、「真珠夫人」で人気作家となる。夏目漱石に代表される芸術至上主義文学に対し、「生活第一」をモットーに大衆文学を掲げ、文芸春秋などの雑誌を創刊し、文壇やジャーナリズムの基礎をうちたてる。賞を創った芥川龍之介直木三十五をはじめ、川端康成横光利一小林秀雄らへの金銭的支援を行っている。
「菊池と一しょにいると、何時も兄貴と一しょにいるような心もちがする」と芥川は言っているし、「菊池氏に会うと、何時も、これではならぬと、自分を恥じ、発奮する」と川端は言い、「一流文士で彼に愛情をもたない人は一人もいないだろう」と白洲次郎は語っている。
「寛」という名前の通りに菊池は育ったようである。この魅力的な人物像を、名優・西田敏行が好演している。雑誌などで見る菊池寛とそっくりな姿で笑いを誘っている。
この映画では「モダン日本」という雑誌を出すシーンがあるが、菊池の創刊の辞では、「モダン・ライフ」という名前で出すはずだったが、内容がうすっぺらになる危険があり、何でも入る「モダン日本」にした、と述べている。菊池寛のセンスを感じるネーミングである。
原作は猪瀬直樹、脚本は今野勉、監督は高橋伴明。猪瀬は直木三十五の役で一回登場する。ビジネスマン時代、猪瀬さんにはパーティで、今野さんにはインタビューで会ったことを思い出しながら映画をみた。もう20年以上も前になる。
菊池寛生誕120周年、没後60年に贈る文芸大作と銘打っているが、そうすると菊池寛は先日訪れた小泉信三と同じ1888年生まれということになる。菊池は1948年に60歳で亡くなっているのに対し、小泉信三は戦後も重要な役割を果たしている。菊池のような人物があと20年も生きたらどのようなことを成し遂げただろうかと想像する。菊池寛は遠い歴史上の人という印象だが、小泉信三はそれほど遠いという印象は受けない。
人物をみる場合、生年よりも没年の方が大事だ。