「ワークライフバランス」という言葉の不思議

ワークライフバランス」という言葉を数年前からよく耳にするようになった。
この言葉、どこかおかしくないだろうか。「ワークライフバランスは「仕事と生活の調和」などと訳されている。「と」で前後をつないでいるということは、その前後は並列の関係であるはずだ。「男性と女性」「ボールペンと鉛筆」「机と椅子」「時計と帽子」。いずれも「と」の前後は並列の関係だ。
ところが「三色ボールペンとボールペン」となるとどうだろうか。違和感を抱かないだろうか。あるいは「時計と腕時計」や「帽子と野球帽」はどうだろうか。 「机の上に置いてある三色ボールペンとボールペンを持ってきてください」と言われたら、誰しも戸惑うのではないだろうか。「時計と腕時計」も「帽子と野球帽」も「三色ボールペンとボールペン」も、いずれも並列の関係ではない。腕時計は時計の一種だし、野球帽は帽子、三色ボールペンはボールペンの一種だ。
ワークライフバランス」にも、これらと同じ間違いがあると思う。ワークとは「仕事」のことである。ライフは「人生」とか「生命」「生活」「暮らし」といった意味だ。考えてみればすぐにわかるが、仕事(ワーク)は人生(ライフ)の一部である。生活ないしは暮らしの一部でもある。ということは、ワークとライフが並列の関係であるはずがない。ライフの中にワークがあるのだ。だからワークとライフのバランスをとろうというのはおかしな考え方ということになる。
ライフの中にキャリアがある。そのキャリアの中に仕事(ワーク)がある。私の考えでは、キャリアには、仕事のほかに学習と経験がある。ライフには、キャリアのほかにも、家族や趣味などがある。すなわちライフ(人生、生活)とは、仕事(ワーク)を中心としたキャリアや、家族、趣味などの総体なのだ。このように考えてみると、ライフデザインが最も重要であることに気づく。ライフデザインの中核はキャリアデザインで、そのキャリアデザインの中核が仕事(ワーク)ということになる。アメリカで生まれ、日本でも官庁や日本経団連が主導する「ワークライフバランス」には疑問符をつけざるを得ない。
安易に、そして無批判に外国の言葉を輸入する前に、一呼吸置いて自分の頭で考えたいものである。