ブログに書いた文章の活用。堆積の効果---「邪馬台」

新幹線ホームの下の裏方たち

季刊誌「邪馬台」の夏号(第167号)が郷里から届いた。
私も故郷との縁をつなぐという意味で同人となっているので、毎回原稿を執筆してる。このすぐれた同人誌も財政がおもわしくなく、数年前から執筆量に応じて料金を納めるという方式に変わった。しかし、今号も150ページあり、表現意欲が旺盛な人々がこの小さな街に多いということを物語っている。
評論、詩、漢詩、旅行記、随筆、自分史、研究、短歌、川柳、俳句、連句、創作、創作選評、追悼、新刊紹介、というラインナップを見ていると、豊かな文化の広がりを感じる。
この号には「随筆」というジャンルに「私の伊勢物語」を読む、という文章を出している。この書は80歳になる私の母が著したもので、このブログに感想を書いて、それをファックスで送ったら、そのままこの雑誌に掲載することになったものだ。ただ自分の息子が書いた書評なので、母は執筆者の名前を変えて編集部に出した。「倉屋敷太郎」という名前になっている。「倉屋敷」は我が家の屋号で、その家の長男と言う意味で「太郎」を用いたペンネームである。若いころ少しだけだが、ペンネームにしていたことがある。それを思い出して使ってみた。母に聞くと、この人は誰だろうと話題になっているそうだ。http://plaza.rakuten.co.jp/hisatune/diary/200803020000/

連載している「人物記念館の旅」の今号は、樋口一葉東山魁夷
樋口一葉は、3回書いたブログの文章を編集したもので、サブタイトルは「あの源氏物語は立派な作品ですが、書いた人は私と同じ女性です」。
2005年8月21日に訪問した「一葉記念館」の訪問記(http://plaza.rakuten.co.jp/hisatune/diary/200508210000/)、2005年12月30日の「樋口一葉日記」、2006年11月3日の「一葉記念館、再訪」である。計7ページ。
東山魁夷も、3回書いたブログの文章を編集したもので、サブタイトルは「時が過ぎ去って行くのでは無く、私達が過ぎ去っていくのである」。
2007年8月18日の「長野信濃美術館・東山魁夷館」、2007年8月27日の『「唐招堤への道」を読む』(http://plaza.rakuten.co.jp/hisatune/diary/200708270000/)、2008年4月10日の『「東山魁夷展、詩と遍歴の山河」を観る』、である。計5ページ。

記念館訪問、著書の吟味、企画展の鑑賞、再訪、など一人の人物に関しても、時間の経過とともに厚みのある情報が自然に蓄積されていく。毎回が発見の連続である。横山大観後藤新平なども何度もブログで取り上げているから、情報と感慨が堆積しつつある。こういったことは旅を始めた当初は思いもよらなかったが、継続することによって目線が深くなっていくようだ。面白いものである。

というわけで、合計12ページとなったから、今回の支払いは大きいだろうなあ。

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写真「今日の一枚」は、東北新幹線のホームから偶然見かけたJR東の裏方の様子。一つの街のようになっていた。滅多に見れない景色だった。