独学の道−−−−旅と記録

民俗学者谷川健一(1921生)が日経新聞に5月に連載した「私の履歴書」は、実に興味深い内容だった。特にこの最後の回(30回)の「独学者の魂」には感銘を受けた。

新潟県中学部退校で学歴を問われると図書館卒業と自信たっぷりに答え「自家製造の人」と呼ばれていた「大日本地名辞書」編纂の吉田東伍(1864−1918)
大学予備門中退で自らの学問を「自学」と称してはばからなかった南方熊楠(1867−1941)
天王寺師範学校卒で小中学校の教員をつとめながら独自の民俗学をきずいた宮本常一(1907−1981)
「柳田学」と呼ばれる日本民俗学を創始した・柳田国男(1875−1962)
国文学に民俗学的研究を導入し自らの学を「一己の学」と言い放った折口信夫(1887−1953)
漢字の研究の最高峰を極めた白川静(1901−2006)

大日本百科全書によると、吉田の「大日本地名辞書」は日本の地名に関する最初で、最大の辞書である。以下、その記述。

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吉田東伍(とうご)著、日本地名の最初・最大の辞書。冨山房(ふざんぼう)発行。1900年(明治33)3月第1冊上を刊行。07年8月に第5冊下に至るまで13年を費やして完成。通巻5180ページ、各説部(地名部)4752ページ、汎論(はんろん)・索引部428ページ、日本全域の約4万地区を対象とする。全国を道、国、郡の順に配列し、各郡内はまた『倭名鈔(わみょうしょう)』の「郷」に分けて説述している。郷は古代・中世の開発地域としてまとまりをなすことによる。
本書は「地名辞書」と題しているが、その内容は巻頭の序言にみられるごとく「地誌」であり、地名を索引しやすい体裁をとっているので地名辞書としたのである。その記載は歴史地理に重点を置いており、著者も序言でそれを述べている。このことは、本書がまた日本歴史地理学の先駆書とされるゆえんでもある。その記載内容は、郷内の山、川、野、津、潟、寺社、島、谷、滝、城址(じょうし)等と主要村落の起源、耕地(田数)について説いている。それらの史・資料としては六国史(りっこくし)をはじめ中央的史書、地方誌・地方名跡志等にわたり、精細を尽くしているが、自然や産業関係の記載は多いとはいえない。また冒頭に日本歴史地理学会長蜂須賀茂韶(はちすかもちあき)をはじめ大隈重信(おおくましげのぶ)、原敬(たかし)らの政界人、重野安繹(しげのやすつぐ)、久米邦武(くめくにたけ)ら学界人、渋沢栄一ほか財界人等27氏から序文、推薦文等が寄せられている。もって各界・各層をあげての待望の名著であったことが知られる。[浅香幸雄]

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独学とは、学校に通わず先生にもつかず、独力で学ぶことだが、これらの独学者たちの特徴は「他人の真似をすることが大嫌い」で、光栄ある孤立の道を選んだ人たちだった。谷川は「孤立しているが、世の独創的な発想や研究は自分で学び、自分で考えることからしか生まれない」と述べている。
吉田東伍の「大日本地名辞書」は、千二百万字。31歳から足掛け13年を費やして独力で完成させたが、どのくらいの量を書いたのというと、四百字詰原稿用紙で毎日七枚づつ書いた勘定になるそうだ。吉田の場合は事実の要点摘出に加え真贋を見抜く眼力で自分の判断を加えるという名人技であるが、それほどのものでなくても、とにかく毎日7枚分の2800字ほどをブログで書き続ければ、分量的には13年でこの辞書と同じになるということになる計算になる。

この記事の中で、谷川は山折哲雄民俗学が「落日の学」といったことを紹介し、原因の一つは、民俗学者の多くが大学に職を得て、旅をしなくなったからだとしている。旅を続け豊かな実りを予感させる東北学の提唱者・赤坂憲雄の名前も出ており、谷川はこの学者への期待も滲ませている。

現場を踏み観察するという意味での「旅」を続けながら、その記録を丹念に書き続けることを、独学と理解してみたい。