今度の帰省の旅は、映画のシーンの逆回しのようだった

久しぶりの帰省で中津にいる。東京に転居してから初めてである。今までは仙台からだったが、久しぶりに羽田空港から福岡に飛んだ。羽田には京浜急行を使ってみたら、京浜蒲田、糀谷、穴守稲荷、大鳥居などの懐かしい駅を通り過ぎていく。
京浜蒲田は、大学を卒業し最初に住んだ街である。蒲田はな街とかいう一角の飲み屋の二階の六畳間が私の部屋だった。泥棒が入ったり、見知らぬ男が闖入して一緒の布団に寝たり、いろいろなことがあったなあ。毎晩のように一階の飲み屋で食事をしていた、たしか「むさしの」という名前で、ビールと酒を飲み、最後に白ご飯の大盛りを食べるというのが私の決まったコースだった。あのとき知り合った大工さんとの交遊も楽しかったなあ。
大鳥居には、航雲寮という工業高校卒業生の整備員たちの寮があった。この寮には入社後数年たった整備の先輩たちが一緒に住んで生活指導をするという仕組みがあった。彼らは寮兄と呼ばれていた。私は入社2年目だったが、文科系では初めての寮兄になり全国の工業高校を優秀な成績で卒業した18歳の若者と一年間過ごした。羽田の整備工場での仕事を終えて寮に帰ると、寮生たちが押し寄せてきて、いろいろな相談に乗っていた。この寮の寮祭のことも思い出す。「ちっちゃな村」というテーマだったか。打ち上げのとき、和服姿のまま胴上げされた。マツオ、リクロー、などあのときのメンバーは今はどうしているかなあ。初めて車を持ったのもここだった。当時の上司から2000ccのクラウンを5万円で譲り受けて乗り回した。リッター5キロという燃費の悪さで、金をバラまきながら走っているような感じだった。また掃除をしなかったので走るゴミ箱ともうわさされていたなあ。
この空港線の風景も幾分変わっている感じはしたが、昔の面影があった。この線は短い時間だったが恐ろしく込んでいた記憶がある。朝は甘酒を売っていたので駅で飲んでいた。
あれは1973年から1974年だから、もう30数年前になる。長い時間と膨大な空間を歩き、走ったのだという感慨をおぼえる。
久しぶりの羽田空港では、航空会社のサービス改革を担当していた記憶がよみがえり、応対するスタッフの業務知識や態度が気になる。わずかな接触だったが、問題にも気がついた。
福岡空港。この空港で働いていた仲間の顔が思い浮かんでくる。どうしているだろうか。地下鉄で数分で博多駅に到着。博多駅から電車に乗ると途中で川を越える。その川のほとりに大学の寮が今でも見える。あの寮ではマージャンに熱中した。同じ大学になった弟と同じ部屋に二人で住んだことも懐かしい思い出だ。その寮の前に住んでた下宿は今もあるだろうか。いろいろな思い出が次々と浮かんでは消えていく。みんあどうしているだろうか。
郷里の中津は、山国川を越えてすぐだ。この大きな川では高校生の時によく散策した。そして夏にはよく泳いだ。おさな馴染みの顔がうかんでくる。
駅に到着すると、母と叔父が迎えに来ていた。そのまま、こんこんと眠り続ける叔母が入院している市民病院にお見舞いに行く。母も叔父も80歳を超えている。子供時代のことを思い出しながら叔母を見舞うが、呼びかけても目は覚まさない。
京浜蒲田から始まった帰省の旅は、就職直後から、大学時代、高校時代、子供の頃と時代を逆まわししていく映画のようだった。