ウオーキングに再挑戦---肉体と精神の関係

私の住んでいる家は多摩川に面している。この川に沿って両岸に道が続いている。

対岸(府中市)はよく舗装されたサイクリングロードで、関係者の間では「タマサイ」(多摩サイクリングロード)と呼ばれているきれいな道である。自転車乗りたちが独特のキャップと服装、そして強そうな足腰を見せながら速いスピードで追い抜いていく。そういった風景がこちら側からもみえる。

こちら岸(多摩市)はウオーキングロードとなっており、朝に夕にあらゆるタイプの人が様々な格好とそれぞれの表情をしながらゆっくりと歩いている。自分自身もその平和な風景の一部なのだが、この道の方が気に入っている。老人、主婦、勤め人、退職者、自転車に乗った人、犬を連れた老夫婦、時にはホームレス、、それぞれがそれぞれの道を歩いているように見える。腰の曲がった老人が哲学的な表情を見せながら、自宅の前で石を丹念に積み上げている姿もよく見かける。この道は人生の道である。

ウオーキングロードを歩いていると「東京湾まで36キロ」という標識が目に入る。どんどんこの道を歩いていくと、調布、二子玉川を過ぎて、やがては東京湾から太平洋にまで届くということになるのかといつも思う。この日、母が九州に帰るので羽田空港までバスで送っていたら、新宿から赤坂、東京タワー、レインボーブリッジを過ぎて、多摩川が東京湾に注ぐ姿が目に入り、いつも目にしている川の水がここまで届くという当り前の事実に少し感動した。

いつもは犬を連れて妻と一緒に家を出てから土手にのぼり、左の白いきれいな橋に向かってゆっくり歩いていき、橋の上にある歩道橋の中央まで出て、眼下の水の流れと多摩川の流れを見て帰るか、逆に右の鉄橋とその先の古い橋のある方面に歩くか、あるいは川べりに降りて花を愛でたり川面を眺めるか、そのいずれかが私の朝の散歩となっている。

今日は思い立って、左の橋から対岸に出て、サイクリングロードを通って、電車の通る鉄橋を右に見て古い方の橋を通り、ウオーキングロードを戻ってくるというコースを急ぎ足で歩いてみた。以前このコースをゆっくり散歩してみたことがあるが、そのときは6700歩ほどだっという記憶がある。今回は大股で相当な急ぎ足でウオーキングとなって、かなり汗をかいたので気持ちがいい。結果的には40数分かかり、万歩計は5000歩を指した。

6年ほど前の正月に炬燵の中からものを取ろうとして腰を痛めたことがあった。それ以降半年ほどは、毎朝近所の小山に登りる30分ほどのウオーキングを自らに課し、東京に出張で出たときには、1時間以上かけて皇居を一周したり、東京駅から新宿まで一気に歩いてみたりしたことがある。数ヶ月経ったときには自分の体は以前の体ではなくなって締まっていた。そして当然のことながら精神のありようも変化したという記憶がある。

川の流れ、水面、緑、家々の前に咲く季節の花々、空の広さ、山々の表情、そして人々の営みなど、自分の足で歩いていると「生命(いのち)」を感じる機会が多くなる。仙台から東京に居を移してもうすぐ半年になり生活のリズムがようやく整いつつあるが、やや運動不足になっているから、このウオーキングにもう一度挑んでみようか。