「後期高齢者医療制度」---万葉の時代と今と

郷里の大分県中津市の文化総合誌「邪馬台」の秋号が届いた。通巻168号であるが、季刊なのですでに40年以上の歴史を持っている同人誌だ。郷里との縁をつなぐ意味で私は同人となっており、毎回手記(現在は「人物記念館の旅」を連載中)を書いたり、恩返しの意味もあり、広告が足りなとときには本の広告(今回は「仕事は頭でするな、身体でせよ!)を出している。

最初の巻頭言は私の母(81歳・「邪馬台」編集委員)が書いた「後期高齢者医療制度」だった。この制度の対象者が書いた文章である。歌人らしく、「万葉集」の歌が入っている。

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 今年に入って、「後期高齢者医療被保険者証」(小さくて薄っぺら)なるものが送られてきた。そして四月の年金からいきなり介護保険料と同時に後期高齢者に対する保険料が二カ月分差し引かれていた。また、暫定とあるからにはだんだん上がるということだろう。

 われわれ七十五歳以上の者は後期高齢者と名づけられた。「邪馬台」編集委員及び同人の殆どはこの後期高齢者に属しているが、皆意欲的に論説、小説、随筆、短歌、俳句を発表し、そして、さまざまな勉強会で講義をしたり、学んだりしている。私もすっかり年を忘れている時もあるのに、後期高齢者ときめつけられると、もうあとはない。断崖絶壁に立たされているようなショックを受けた。

 後期高齢者といわれる世代は激動の昭和を生き抜いてきた人達だ。男性は戦争にかり出され三百万人もの未来ある若人が無惨な死を遂げている。また、生き残った人たちもあたら青春を投げうって身体に、心に深い傷を負って還ってきた。われわれ女性も配偶者を失い、食糧の飢え、着物を売ったり、米と替えるという筍生活に耐えてきた。そして男女共々それらを懸命に克服して戦後の高度成長を支え、経済大国日本に貢献してきたのである。後期高齢者とあえて言うのならもっと思いやりのある政治があってもよいのではないだろうか。

 年金が宙に浮いたり、消えたりして不信が高まっている所へ、保険料の値上げ、年金からの天引がいきなり始まったのだから、戸惑いと怒りが爆発したのは無理もない。

 又、厚生労働相は「低所得者は負担が軽減され、高所得者は負担が増える」と説明していたが相反する結果が出ている。高所得者世帯の約八割は負担が減っており、低所得者層ほど保険料の負担増になる傾向がわかった。同省の「制度実施前に調査すべきだった」とは余りにもお粗末というより外はない。

 又、年金が少なく子供の扶養家族となって、保険料を納めてなかった高齢者もわずかな年金の中から天引徴収される。これには万葉集の「貧窮問答」という長歌を思い出さずにはいられない。

  ------短き物を 端きると 言ひつるがごと
  楚(しも)とる 里長(さとおさ)が声は 寝屋戸まで
  来立ち 呼ばひぬ かくばかり 術(すべ)なきものか 世間(よのなか)の道
   
(特別短い物をさらにその端を切るという諺(ことわざ)のように、むちを持った役人が税を取りたてに家族が寝ている所までやってきて呼びたてている。こんないも何とも仕方のないものか、この世の中の道というものは)
というのがあるがまさに昔も今もという感じがした。

 つい先日の衆議院山口区補欠選挙につづき沖縄県議選で高齢者の激しい抵抗で与党が敗北し、制度導入からわずか二ケ月で見直しに置きこまれた。財源にはふれず、制度の根幹には手をつけず小幅な見直しをしている。それは、低所得者の保険料の軽減、世帯主(子)や配偶者からの口座振替可能、年金の天引条件つき等々だ。

 日本人は大人しいと言われている。政府が決めたことは不服が」あっても仕方がないと抵抗をせず、あれよあれよと言っている間もなく消費税、自衛隊イラク派遣、国民投票等々とおしきられてしまている。

しかし、今回は年金の不手際、後期高齢者医療として切りはなされたことに老人パワーが激しく抵抗し、政府が二ケ月にしてその制度を変更せざるを得なかったということに私は感動した。

 そもそも保険制度は健康な人が病気の人を、富める者が貧しき者を助ける相互扶助から生まれたもの、後期高齢者医療制度のように高齢者だけ切り離せば若い世代と高齢者との対立をまねきかねない。

 高齢者だけを切り離す制度にしたのは「医療費を消費税で賄う必要が生じた時、高齢者の医療を支えるためという理由なら国民の納得を得られやすい」という政府の思惑があったとされる。

 要は、高齢化によって増える費用の財源はどうやって確保するかが問題の中心になってくるであろう。
 政府の無駄遣い、国会議員の削減、官僚の役得禁止、拡大していく自衛隊予算、いらぬ道路づくり、やたらと薬を与える医療行為、首相がわざわざ出かけて行って他国への大盤振舞をするのもどうであろうか。多くの人が望む尊厳死、延命治療のことなどもっと議論する必要があるであろう。削れるものは削って福祉に廻した上で国民に新たな負担を求めるべきではないだろうか。社会保障は毎年二千五百億円削られているという。これは言語道断、此の頃福祉がますます貧困になっていゆくのを肌で感じる。

 又、税金の投入は後期高齢者医療の五割と決められているが、新しい発想のもとに財源、予備費なるものを洗い直して、もっと増やし、高齢者の明日の安心を考える社会にして欲しいものだと切に願っている。       (久恒啓子)

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