「いまやらねばいつできる、わしがやらねばたれがやる」

白河から富田さんと、今日から始まる宮城大学での授業のため雨の中を一路仙台へ。「久恒君を東京から白河へはボクがお見送りをし、仙台から富田さんがお出迎え」(野田先生)と冗談でおっしゃっていて3人で笑った。

野田先生は坂口安吾賞の選考委員長だが、本日は東京のANAホテルで授賞式があるということで早朝に出発された。安吾賞は、劇作家・野田秀樹が第一回の受賞者で、2回がアルピニスト野口健。そして今回の第3回は、瀬戸内寂聴だそうだ。この賞は人選がいいと感心した。

宣言書によると「坂口安吾が生まれ、青春の思索を育んだ地である新潟市から、世俗の権威にとらわれずに本質を提示し、反骨と飽くなき挑戦者魂の安吾精神を発揮する現代の安吾に光を当てたい。日本人に大いなる勇気と元気を与え、明日への指針を指し示すことで現代の世相に喝を入れる人物や団体に「安吾賞」を贈ることをここに宣言する。」とある。

宮城大では同僚だった映画大学院の金融が専門の大野先生と久しぶり懇談したが、映画関係のブログをやっているらしいので今後の参考にしたい。「おくりびと」は評価が高かった。
卒業論文の指導を終えて、今度は新幹線で東京へ。

昨日の朝、今日の夕刻に電車の中で、新聞や雑誌で、いくつかいい言葉に出会った。

「いまやらねばいつできる、わしがやらねばたれがやる。」は、107歳の長寿だった彫刻家の平櫛田中の言葉。この人は「六十,七十はなたれこぞう,おとこざかりは百から百から」という有名な言葉を残した人である。小平市に記念館があるので、近日中に訪問したい。「

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1872‐1979 明治-昭和時代の彫刻家。
明治5年1月15日生まれ。30年上京して高村光雲にまなぶ。40年日本彫刻会を結成,同会展の出品作で岡倉天心にみとめられた。日本美術院再興につくす。昭和19年東京美術学校(現東京芸大)教授。彩色木彫作品がおおい。37年文化勲章。昭和54年12月30日死去。107歳。岡山県出身。旧姓は田中。本名は倬太郎。作品に「転生(てんしょう)」「鏡獅子(かがみじし)」など。
【格言など】六十,七十はなたれこぞう,おとこざかりは百から百から(99歳での書「不老」の添書き)   (日本人名大辞典)

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「アーチストになるな。アルチザン(職人)になれ」は、漫画家の手塚治虫の言葉である。

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1928‐1989 昭和時代後期の漫画家。
昭和3年11月3日生まれ。21年デビュー。22年「新宝島」がヒット,赤本漫画にブームをおこす。さらに児童雑誌に進出し,「鉄腕アトム」「リボンの騎士」などでストーリー漫画の世界をひらく。36年手塚動画プロ(のち虫プロ)を設立,アニメーションの分野も開拓した。平成元年2月9日死去。60歳。大阪出身。阪大付属医学専門部卒。本名は治。 (日本人名大辞典)

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