「白洲次郎と白洲正子展」(横浜)--時代に媚びない。時代を染め抜く

k-hisatune2009-01-04

久しぶりの横浜。正月だからだろうか、ものすごい人の群れ。
いとこのみっちゃん一家4人(みっちゃん、夫、夫の母、娘)、弟夫婦、私たち夫婦、そして母の計9人でで食事。その後、ルミネがあまりに混んでいてどこにも入れないので、外に出てショラトンホテルで(ここは奇蹟のようにいい場所が空いていた)コーヒーを飲みながら親戚の動向などを話題に話に花が咲く。みっちゃんの亡くなった母親、最近亡くなったみっこおばちゃん、若い世代の動向、、。

帰りに、横浜そごうで開催中の「迷わぬふたり。白洲次郎白洲正子展」を観る。この二人の住んだ武相荘いは何度か訪ねたことがあるから、知らないところを中心にみてまわる。

次郎は、「立つ鳥あとを濁さず」といって亡くなる前に身辺の書類や資料を自ら焼却してしまっていた。GHQと日本国憲法制定をめぐって火花を散らしてるとき、アメリカは「エアウェイ」として、性急さを戒め日本流の「ジープウェイ」で時間をかけながらやっていこうと説得している。また、GHQ側を、「you」、日本側を「they」(weではなく)と呼び、中立的立場をとっている。

白洲次郎は、ダンディの見本として今なお人気があるが、「ダンディの要件」について語っている。要するにダンディとは「やせ我慢」であるとのことだ。
その要件は、1・筋を通す(次郎のいういプリンシプルに似ている)。2・弱者にやさしい。3・私(わたくし)しない。4・見た目にそこそこカッコいい。彼自身はイギリスのダンディズムを身につけた紳士で、圧倒的にカッコよかったが、要件に「そこそこ」と入れるところなどは、弱者にやさしいところが確かにある。

57歳で東北電力会長を退いた後は、車と日曜大工とゴルフに興じたカントリージェントルマンだった。

死の5年前に書いた1980年の遺言書が飾ってあり、「一、葬式無用 一、戒名不用」だった。

白洲正子の生き方にも多くの人が関心があり、今なお雑誌の特集や本も売れ続けている。
初期工芸の「うぶな美しさ」に惹かれる正子は、「何でもなくて、そして何もかもあるもの」が究極の器だといい、少なくとも10根は付き合ってみなければわからないとしている。

イギリス流のカントリージェントルマンだった次郎と日本の古典文学と古美術の美しさを再発見した正子。
次郎の趣味の家具と正子が蒐めた骨董に囲まれて生活した武相荘での暮らし。
旅に出るとせっかちな次郎と、道草の好きな正子。

帰りに見た看板のポスターには、「時代に媚びない。時代を染め抜く」という言葉で、次郎と正子をそれぞて説明してあって、うまいと思った。