数年前、福島の美術館で知った熊谷守一(1880-1977年)のこと。

豊島区千早にある熊谷守一美術館を訪ねた。画壇の仙人と呼ばれるこの画家の自然体で暮らした生き方に今なおファンが多い。この小さな記念館も知的な感じの老夫婦らがゆっくりと訪れている。この画家がようやく売れ始めたのは1964年頃というから84歳頃と、随分と貧乏な時代が続く。画家は長寿が多いが、この人は97歳。

美術館で拾った言葉

  • 「たとえ乞食になっても絵かきになろう」と志す。
  • 「もし神様がいたらこんな姿では」とアイヌが思った。
  • 「軒が傾いて雨漏りするような家が気に入っている」(52歳から45年間住んだ)
  • 「これ以上人が来るようになっては困る」(文化勲章を辞退)
  • 「お国のためには何もしていないから」(勲章を断る)


自伝「へたも絵のうち」(日経新聞の「私の履歴書」で大きな反響があったため本にしたもの)から

  • 自分で何かを考え出したりつくったりするのは平気だし好きなのだが、人のマネというのが不得手なのです。
  • 絵を描くのは、初めから自分にも何を描くのかわからないのが自分にも新しい。描くことによって自分にないものが出てくるのがおもしろい
  • 私は、ほんとうは文章というものは信用していません。
  • 大好きなのは、世の中にいっぱいあります。特に小さな子供と、鳥と虫には目がありません。
  • 「独楽」「人生無根帯」「無一物」「五風十雨」(好きな言葉)。「日々是好日」「謹厳」(嫌いな言葉)
  • この正門から外へは、この30年間出たことはないんです。でも8年くらい前一度だけ垣根づたいに勝手口まで散歩したんです。あとにも先にもそれ一度なんです。

以下、後で書き足したい項目の覚え書き。
・悲しみをたたえた知的な表情の自画像。若いころの写真。
・「某婦人像」。後に妻となった秀子の絵。
・犬より猫。「あまりにも忠実な犬は嫌い。気ままで自由なネコを好く)--加山又造もネコ派だった!
・美校時代の友人・青木繁(28歳で亡くなった天才)との交友。
・絵のこと