「世界性に立脚した日本絵画」---加山又造展(国立新美術館)

k-hisatune2009-02-12

日本画の最高峰・加山又造の展覧会が六本木の国立新美術館黒川紀章の作品)で開催されている。日経新聞でもこれに合わせて文化欄での企画が進行している。作家の渡辺淳一が12日の新聞に「黒い薔薇の裸婦」というテーマでエッセイを書いている。「失楽園」「幻覚」に続き、化身」では、黒い薔薇が描かれたレースをからませた白い裸婦を日本画的な線で表現した絵が表紙を飾った。表紙では加山のエロスを超えた女の美、そして小説の中身は生の女というように連なっていく。

加山又造は1927年(昭和2年)生まれだから私の母と同じ年に生まれている。2004年に76歳と画家にしては比較的早く亡くなっている。ぞの前年には文化勲章を受章している。

入口の空間に展示された「雪月花」という三部作は東京国立近代美術館に依頼されて8年間かけて描いた大作である。春の桜、秋の月、冬の雪という季節と風物の組み合わせ。月では、波濤をアルミで描き、花では硫化水銀で黒地をだしアルミ箔、金箔などを使って、伝統的な日本画に革新性を持ち込んだ加山を代表作の一つとなっている。

加山は平面的装飾的な画面で構成される日本画に、キュビズムなど西洋絵画の手法を加えた新しい日本画を目指した。華やかで優美ではあるが、どこか近代的な命も持っている、そういう絵である。

「月と駱駝」「悲しき鹿」「紅鶴」

加山には屏風絵が多い。同一画面でもあり、かつ空間や時間を超えて表現できる屏風絵はいい作品を生む土壌となっている。「奥入瀬」「千羽鶴」「七夕屏風」「天の川」「春秋波濤」(代表作。逆遠近法を使い遠くを大きく近くを小さく描く)「雪月花」。

「伝承者は写しをするが、断絶している者は古いものの中に前衛をつかむことができる」

浮世絵の線を理想とした加山は、一本の美しい線を引く出す作業に腐心している。1976年の「黒い薔薇の裸婦」は、屏風に半裸婦を描いたモダンなトーンの枝が、浮世絵の雰囲気も漂わせている。加山の父は西陣織の衣裳の図案家であり、祖父は円山四条派の絵師だったというから、そういう血筋と環境が加山又造という大輪の花を咲かせたのだろう。「伝統と革新」は加山の生涯のテーマだった。日本には「倣」(ほう)という考え方がある。これは単なる写生ではなく、本質を取り出し、それを制作の目標とする積極的な芸術行為である。

「いのち」の形として移ろいゆく自然の観想を形にする。「華と猫」「不二」「「牡丹」「秋草」「夜桜」「満月光」

「水墨山水図」「月光波濤」「凍れる月光」「龍図」。水墨画について加山は「五感からときはなたれた空の世界の空間」と語っている。

「生活の中に生きる美」という章では、版画、陶器、着物の絵付けどんちょうやジュエリーのデザイン、飛行機の室内装飾、BMWのアートカー、洋食器など、ありとあらゆるものに挑戦している。

「飛行機の室内装飾」とあって、よくみかけた絵だなと思っていたら、1968年(昭和43年)、加山41歳の時に、日本航空の依嘱によりボーイング747LRの機内コート、クロゼット、壁画面に「銀河の図」「「日輪草花図」などを制作したとあった。機内の壁の絵は加山又造の作品だったのだ。この企画展への協力企業に日本航空が入っていた。

若いころ西洋画に惹かれ強く影響を受け動物画、室町時代の装飾的な屏風、琳派など日本の古典につながる端麗な屏風、浮世絵の線描の美しさをひく裸婦像、北宋山水画に学んだ水墨画など、日本の伝統の世界に革新的な今日性を取り入れた。加山又造の世界を堪能した。

「日本独自の何かをつくってみようとね。できなければ、その芽だけでもつくっておいてやろうと思う」と述べていた加山が活躍する舞台をつくった創造美術は、「世界性に立脚した日本絵画の創造」とうたいあげた。
加山又造は、その志を実現したようにみえる。