西田幾太郎記念哲学館の訪問メモ

k-hisatune2009-09-21

絶対矛盾的自己同一という西田哲学の哲理は有名だ。

矛盾しながらも自己同一を保っている。例えば昨日の私と今日の私。私と汝、仏と衆生。神と人。そうした構造を持ったものが現実の歴史的世界だ。こういうことらしい。人格とは昨日の私と今日の私は矛盾するが同一である。多はそのままで一つである、それを「一即多」と表現している。

西田幾太郎は、自分を無にする方法を哲学のテーマとした。無という論理を超えたものを論理化しようとしていたのが「無の哲学」である。「哲学は自己を否定すること、自己を忘れることを学ぶのである」。確かに世上言うように難解だが、わかる気もする。

西田幾太郎(1870年−1945年)は、西田哲学という名前で知られる日本最高峰の哲学者である。禅の師である雪門から、四高教授の30歳の時、禅の修行者(居士)として「寸心」という号をもらている。この号を西田は書を揮毫するようになる40代半ば以降、よく使っている。

西田の出世作であり代表作として有名な本は「善の研究」だが、京都帝国大学助教授に就任した翌年の41歳の作品だ。それ以降、西田は次々と論文を発表していく。

  • 円は広大な心を表します。考えることによって、それは宇宙をも包みます。(円は始めも終わりもない。完全で広大な心に通じる究極の形。円相図)
  • 世界を見ようとすると時、世界もこちらを見ています。「井戸」をのぞくと「井戸」もあなたを見ています。
  • 「窓の外には世界が広がり、「窓」の内にはそれを見て考えている私がいます。
  • 人は人、吾は吾なり とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり
  • あさに思ひ 夕に思ひ 夜におもふ 思いに思ふ 我が心かな
  • 吾死なば 故郷の山に埋れて 昔語りし 友を夢見む
  • 愛宕山 入る日のごとく あかあかと 燃やし尽くさん 残れる命
  • 武士(もののふ)の血汐に 染みし鎌倉の 山のくまぐま 落ち葉ふみ行く
  • 詩や歌や 哲理の玩具 くさぐさと われとわが身を なだめても見る
  • 君ありしと思へば 心安かりき 相見ることの 稀なりし日も
  • 世をはなれ 人を忘れて 我はただ 己が心の奥底にすむ

「個人というものをのぞいては、なんにも創造はできないんだから、、」

石川県宇ノ気町の大きな公園の中に建つ西田幾多郎記念哲学館は、入り口がわかりにくい。そして内部の展示を見てまわるのも、動線や案内板も問題も多く、何か不便で釈然としない。ところが後でわかったのだが、哲学館なのでわざとわかりにくくし考えてもらうという設計思想で貫かれているのだった。
この5階建ての記念館(2002年6月竣工)の設計者は、安藤忠雄だった。司馬遼太郎記念館を始め、和辻哲郎を記念した姫路文学館など多くの人物記念館の設計をしているのが安藤忠雄だ。「考えながら歩いてもらう」という思想だそうだ。

哲学館という名称を持っている人物館は世界に例がない。

「私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した。その後半は黒板を後にして立った。黒板に向かって一回転をしたと云へば、それで私の伝記は尽きるのである」と面白いユーモラスな述懐をしている。それが学者だということだったのだろう。

親友・鈴木大拙、30回住むところを変えた(鎌倉の17年間に4度の引っ越し)、夏と冬は鎌倉・春と秋は京都、学習院大の哲学研究寮になっている鎌倉の寸心荘、第二回文化勲章、寸心園、骨清窟、宇の気小学校、、、、、、、。