安野光雅展(新宿紀伊国屋)−−創造性と想像力

k-hisatune2010-01-11

新宿紀伊国屋で開催中の安野光雅展をを観てきた。
安野は叙情豊かな絵を描く画家で、多くの人が安野の描く風景に癒されている。私も好きな画家である。
1926年生まれだから、もう80代の前半になるが、メディアでもよく見かけるから、今も健筆をふるっているのだろう。安野の絵は、島根県の津和野出身であることが影響しているという説が多い。「絵を志すようになったスタートラインは津和野だったと言うほかありません。」と本人もそのことを半ば認めてもいる。工業高校を出たあと、小学校の教員をしてあと、23才で上京し、三鷹市武蔵野市で小学校教員をしながら勉強し、35才で画家として独立する。42才で「ふしぎなえ」(福音館書店)で絵本作家としてデビューする。

芸術選奨文部大臣奨励賞、国際アンデルセン賞など多くの国際賞を受賞し、国内では紫綬褒章、菊池?賞も受けている。2001年には故郷津和野に安野光雅美術館も開館している。

この画家の絵は、観る人の心を和ませてくれる。日本の原風景をおだやかに淡い色遣いで描いている。ファンが多いのはよく理解できる。

笛吹川小景、富士川身延山大菩薩峠桂川、山村初秋、笛吹川錦秋、笛吹川錦秋、笛吹川晩秋、、。
イタリアの風景も展示されている。トスカーナの小さな村、バルベリーニ広場、ヴェネツイア、フィレンツエへの道、ローマ、、。

「絵本 歌の旅」「絵のある人生」「絵の教室」などの本を購入して読んでみたが、この画家はエッセイが素晴らしくうまい。絵描きにとどまらず、文章を書かせてもいい。自然やものをみる目がいいと思う。「絵本 歌の旅」では、早春賦、朧月夜、荒城の月、牧場の朝、からたちの花、城ヶ島の雨、琵琶湖周航の歌、山小屋の灯、あかとんぼ、椰子の実、たき火、ふじの山、仰げば尊し、ふるさとなど実に懐かしい童謡、唱歌を題材に、ほのぼのとしたエッセイが並んでいる。
映像作家・吉丸昌昭が安曇野の大町南高校に入学して渡された校歌の作詞者をみると吉丸一昌とあり、それが自分の祖父だといういことに驚く。この一昌は「早春賦」の作詞者だったが、確か大分の臼杵に記念館があった。この安曇野には、いわさきちひろ美術館、萩原守衛碌山美術館もある。ぜひ出かけたい場所だ。

「大人になってふりかえれば、その歌詞の意味を読み取ろうとするが、缶を開けて出てくる歌は、軍歌だろうと、恋歌だろうと、歌詞の意味はあまり問わない。」とある。そういえば、韓国旅行で知り合った高齢の紳士は、自分の青春の歌は日本の軍歌だったということを述べていたことも思い出す。

「ただでくれるといわれたら、どれにする?」というふうに自分に問いかけてみると、自分なりの目が出来てくるのだそうだ。知り合いの人が、美術館では「自分の家にどれを飾ろうか」と考えて見るといいと教えてくれたが、同じような鑑賞の方法である。

「絵の教室」という新書の「はじめに」の冒頭には、「自分で考える」という文章がある。どのような分野でもとにかく「受け売りでなかったらいい」ということを言っているのは共感を覚える。
そして
「絵が好き」という感性は、好奇心、注意力、想像力、そして創造力になり、枝分かれして物理学、生物学、医学というぐあいに変化しているのではなかろうか」
「絵というものは、どうもイマジネーションというノウハウのない世界に力点がかかっているのではないかと思えてきたのです」

この本にゴッホのことがでてくる。
日本の浮世絵には線がある。縁取りなどの線がある。でもフランスの絵には線がないと、日本の絵に驚いている。私自身、美術館を訪問する機会が増えているが、日本は線で描くにに対し、西洋画は面で描くという言い方をよく聞くが、こちらから見ると未熟な手法だという自虐的な説が多いのだが、相手から見ると優れた手法に見えるということなのだ。

「絵を描くとき、自分の意志というより、頭の中に誰かがいて、わたしの感性を左右するらしく、、、」(安野光雅
鴎外も「妄想」の中で「自分のしている事は、役者が舞台へ出て或る役を勤めているに過ぎないやうに感ぜられる。その勤めている役の背後に、別に何者かが存在していなくてrはならないように感ぜられる。」

創造性は、想像すること、つまりイマジネーションからはじまります。そしてそれは疑う力とセットになっていると安野光雅は言う。

そういう創造力は、子ども時代の豊かな時代にあったと深く思うようになった安野は、そういった日本の美しい自然を描く、残すことを使命と考えているように感じた。

津和野と安曇野。私が訪れるべき場所が決まった。