牧野標本館(牧野富太郎)in首都大学東京

k-hisatune2010-02-01

南大沢にある首都大学東京(昔の東京都立大学)に、牧野標本館がある。植物学の牧野富太郎博士の集めた植物を核とした標本館である。
以前から訪ねようと思っていたが、展示館がなく、アクセスするのが難しくなかなかみれなかったが、その機会があった。
大学院理工学研究科生命科学専攻の中に牧野標本館は位置づけられている。そこの菅原准教授が案内してくださった。
牧野富太郎(1862-1957年)は、東京都の名誉市民第一号であった関係で、牧野の死後膨大な植物標本を東京都が引き取り保存した。その数は40万点にのぼる。このうち16万点に「いつ、どこで、誰が」ということを割り出して、ラベルにする。牧野がつけていた日記などからこういう情報を特定した。

牧野富太郎の功績は何か。日本で初めて学名をつけた(命名)のだが、その数は1500点にのぼる。また精緻な植物図をたくさん描いている。しかし、その最大の功績は、植物分類学の普及であった。牧野は全国を採集旅行している。そのときに、土地の人によく講義をしている。これが植物分類に関する国民の意識をずいぶんと高めた。

牧野富太郎の描いた植物の精密画をみると、細かいところまで毛筆で描いていることがわかる。確かに鋭い観察眼である。この標本館のハーバリウムの入り口には「牧野標本館」と書かれた表札がかかっている。1958年の標本館開設時の門標である。自筆とのことだが、実に風格にある達筆である。

ハーバリウムの内部に入ると暖かい。室温は25度C。湿度は60%に維持されている。こういう保存を旨とする場所はナフタリンの匂いがするものだが、雰囲気が違う。この標本館は40万点の標本を保管しているが、これn未分類のものやコロ、藻類などを加えると50万点にのぼる。毎年1万点ほど増えているとんことだ。その規模は、東大、京大、国立科学博物館に次いで、国内第4位である。ただ、ここには展示施設がないので、あまり知られてはいない。この部屋の広さは230ヘーベで、電動式コンパクター(標本庫)が3連ほど設置されており、規則正しく整理されている。図書館の書庫のようだ。

「タイプ標本」というもんを見せてもらった。赤い封筒に入った標本で、新種として発表された植物の基準標本である。こういう貴重な標本は800ある。一つ見せてもらう。「1905.8.3 牧野富太郎 学名(ラテン語で書いてある)  和名カトウハコベ 岩手県」。確かに牧野富太郎の採集標本だった。

植物は世界では25万から30万種あり、日本には7000種。そのうちこの標本館には90%くらい保管している。生物多様性の議論などもあり、生物学が人気が高い研究分野なのだそうだ。レッドデータブックなどの基礎資料にもなっている。

国民新聞 大正元年10月14日」とある新聞に「クルマイチリンソサウ」の押し花があったという証拠をみた。もちろん牧野の採集品だ。牧野は地方に行くとその土地の新聞に採集した植物を押し花で保存していた。地方新聞の実物ということで、こちらの方の学術資料としても貴重だった。

シーボルトコレクション」もある。3000点である。シーボルトは、1823年から1829年、そして1859年ー1862年の二回にわたって日本で植物を大量に採集している。学名などの記述は、シーボルトの筆になるものである。

大泉学園牧野富太郎庭園には2008年に訪問したことがある。次は、牧野富太郎の郷里・高知の記念館を訪問しよう。http://d.hatena.ne.jp/k-hisatune/20080720
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大学で、市民経済部長と経済観光課長を同伴された多摩市長の訪問を受ける。こちらは、学部長と私と、多摩大総研の松本、中庭。今後の連携の話。
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帰りは雪の降りしきる中を慎重に運転しながら帰る。
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