「わが父 波郷」(石田修大・白水社)は、駆け出しの新聞記者である息子が、昭和俳壇の巨星・石田波郷の死亡記事を書くというシーンから始まる伝記である。静かなタッチで、生前はなかなか上手に交流の出来なかった父親を見事に描き出している。
目次は、それぞれの章を代表する俳句で構成されている。
- 序章 今生は病む生なりき鳥頭
- 第一章 バスを待ち大路の春をうたがはず
- 第二章 雁やのこるものみな美しき
- 第三章 たばしるや鵙叫喚す胸形変
- 第四章 寒雀汝砂町に煤けしや
- 第五章 ひとつ咲く酒中花はわが恋椿
- 第六章 柿食ふや命あまさず生きよの語
- 終章 雪降れり時間の束の降るごとく
日経新聞記者の新米社会部記者の息子が書いた父親の死亡記事。
「石田波郷氏(俳人、本名哲夫=てつお)二十一日午前八時三十分、心衰弱のため東京都北多摩群清瀬町の国立療養所東京病院で死去、五十六才。自宅は東京都練馬区高野台三ノ一七ノナナ。告別式の日取り未定。喪主は長男修大氏。
水原秋桜子に師事、俳誌「鶴」主宰。四十四年三月、芸術選奨文部大臣賞受賞。」
約7年間の入院生活。その人生を波郷自身の俳句でつづると、こんな具合になる。
- 秋の暮れ業火となりてきびは燃ゆ(在郷)
- バスを待ち大路の春をうたがはず(上京)
- 吹き起こる秋風鶴をあゆましむ(「鶴」創刊・主宰)
- 雁やのこるものみな美しき(出征)
- 雷落ちて火柱みせよ胸の上(発病)
- はこべらや焦土のいろの雀ども(焦土砂町)
- たばしるや鵙叫喚す胸形変(成形手術)
- 泉への道後れゆく安けさよ(病後)
- ひとつ咲く酒中花はわが恋椿(終の栖練馬)
- 水仙花いくたび入院することよ(再入院)
- 今生は病む生なりき鳥頭(絶唱)
確かに波郷の句はいい。本の中で印象に残ったものを記す。
- あえかなる薔薇選りおれば春の雷
- 春月やあはれ新宿三丁目
- 買い戻すすべなき書や虫の宿
- 秋晴れや御直諭誦す貨車の中
- よろめくや白衣に浴ぶる冬日ざし
- 雑誌なし俳句会なし閑古鳥
- 栗食むや若く哀しき背を曲げて
- 屋根裏に寒の朝日の黄金なす
- はこべらや焦土のいろの雀ども
- 細雪妻に言葉を待たれをり
- 鵙なくやなほ生くべくは十五年
- 春夕べ襖に手をかけ母来給ふ
- 蝉かなしベッドにすがる子を見れば
- 師よりの金妻よりの金冬日満つ
- 冬暁のわが細声の妻起こせず
- 我が病臥足袋脱ぐ妻の後ろむき
- 寒むや吾がかなしき妻を子にかへす
- 夕虹や三年生け得ば神の寵
- ひとり寒し砂町銀座過ぎるとて
- 木洩れ日にきらめく獅子や秋祭
- 妻のみに憤りをり返り梅雨
- 柿食ふや電柱の辺の富士あはれ
- 夕焼けて砂町に棲むほかはなし
- 行く春や吾がくれないの結核菌
- 人間派変じて樹木派毛虫焼く
- 虚子逝けり老茱萸をわが植えし日に
- 壺焼きやいの一番の隅の客
- わが願ひ大方満ちて落葉焚く
- 生涯の休暇のごとく一夏病む
- スチームにともによる人母に似し
- 千両や長子の酒のわれににし
- 柿食ふた命あまさず生きよの語
- 合歓咲けば妻も病みけり病家族
- 橙やや病みれ果たせぬ旅一つ
- 椿の実退院妻に後れけり
- 病院が栖となりぬ年の暮
節目の年齢で詠んだ句も面白い。
初蝶やわが三十の袖袂
鶏頭の澎湃として四十過ぐ
平凡に五十頭上の初雀
利休梅五十はつねの齢ならず
「焦土俳句」と「療養俳句」と言われた、石田波郷の俳句は、心に響く。