生誕120年・小野竹喬展、岩合光昭写真展、そして千鳥ヶ淵の桜

k-hisatune2010-04-04

小野竹喬。
1889年岡山県笠間市生まれ。14歳で京都の竹内栖鳳に入門し、後に寄宿生となる。生誕120周年記念で、素描50点を含む120点を観ることができる。竹喬は、生涯に於いて西洋画、南画、大和絵、簡潔な表現、墨彩画と画風を変化させていく。1903年から1938年までの前期では、1921年の渡欧で、西洋画にはない「日本画の「線」を再認識する。1928年の「冬日帖」は代表作の一つとなる。南画の池大雅を思慕した竹喬は西洋というフィルターを通した線描と淡彩による南画風表現に到達する。観た中では、島根県の良港を南画風に描いた「七類」、セザンヌの影響を受けた「島二作」、志摩半島の「波切村」が印象に残った。1921年32歳で土田遷(「1887-1936年)、野長瀬挽花(1889-1964年)、黒田重太郎(1887年)と渡欧。1922年に帰国する、近代西洋絵画の理念と日本画の技法と材料の相容れないところを解決する。39歳の「冬日帖」は池大雅与謝蕪村、田能村竹田の影響。40歳の「山」(水墨画を基調とした南画表現)、54歳の「秋陽」、58歳の「仲秋の月」は記念的な作品。62歳の「奥入瀬の渓流」は水の表情を線で描いている。
後期は、1939年から1979年。線描と淡彩の南画風表現から、素材の美しさを活かす大和絵風へと変化する。そして純粋な日本山水画を創造しようとし、大和絵の新解釈野時代に入る。「雨の海」、71歳の「彩秋」、73歳の「残照」、78歳の「池」は水面の表情がいい。85歳の「日本の四季」は「春の湖面」、「京の灯」、「朝靄」。「河野辺り」。「樹雪」は、墨彩画で墨絵に淡い色をつけた。「日本美の、、は墨絵にあり」。87歳では、30年の宿願であった「奥の細道句抄絵」の連作を完成する。「暑き日を海に入れたり最上川」の絵が良かった。
「無心になってものをみる」「自然と私のすなおな対話」
61歳、京都市立美術専門学校教授。69歳、社団法人日展常務理事。79歳、文化功労者。87歳、文化勲章。89歳で死去。
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須田国太郎展も開催中だった。
京都生まれ。三高、京都帝大。40歳を過ぎてデビュー。明暗と色彩の問題をじっくり掘り下げ、対象の本質に入り込もうとした。1961年に70歳で死去。
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北の丸公園から桜の名所・千鳥ヶ淵の桜見物。
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北の丸公園の中にある国立近代美術館分館で開催中の「近代工芸の名品-花」を鑑賞。この建物は旧近衛師団司令部庁舎。北白川宮の勇壮な騎馬像も庭にある。
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岩合光昭写真展は、渋谷の「塩とたばこの博物館」で開催中だった。岩合さんはビジネスマン時代に仕事で関係したことがあり、その後の活躍を見ていたのでぜひとも見ておきたいと思った。1950年生まれ。動物写真家。北極圏から南極大陸まで全地球的規模で仕事をしている。北極グマ、鯨、など生き物との出会いを大切にするカメラマン。
この博物館ではタバコのPRをしていた。タバコを愛した人々というコーナーでは、本居宣長太宰治小泉八雲吉田茂山東京伝荻生徂徠平賀源内林羅山などが紹介されていたのは面白い。確かに本居宣長は愛煙家で部屋が煙で満ちていて弟子からの苦情が多かったというエピソードが松阪の記念館に貼ってあった。