40歳は不惑ではない、折り返し点ではない

30歳になったときは「もう30歳になったか」とあせったり、40歳になったら「とうとう40歳になってしまったか。人生の半ばをむかえてしまった」と感慨にふけったりする人が多いのですが、そうでしょうか。

40歳を人生の半ばというのは、80年の人生を前半と後半に分けて考えただけで、そこはたいした意味はなく、納得感はありません。というのは17、8歳くらいまでは子どもであったので、大人になってからまだ20年くらいしか経っていないのに、人生の半分が終わってしまったと嘆くのは、ちょっとおかしくはありませんか。
もっと言うと、子ども時代は人生に入るかということです。私は年齢というのは大人になってから何年経ったかというように考えたほうが良いと思っています。だから子ども時代を人生にカウントしないようにしましょう。したがって40歳は人生の半分だとか、折り返し点などと考えるてはいけないのです。
では子ども時代は何歳までか。人生50年から1.6倍の人生80年時代を私達は生きていますから、昔の15歳は現在では24歳に相当します。私は遅い時期をむしろとって25歳と考えます。学校を卒業し社会に出て数年です。そうすると25歳から40歳までだと、やっと15年間が過ぎたにすぎません。55歳は、そのあとの15年後です。社会的に活躍できるまでの年齢を70歳とすれば、そこからまた15年間があります。
だから、40歳というのは、人生の三分の一を経過したにすぎないと考えるべきです。「40歳にして惑わず」とか、「40歳は人生の折り返し点」などと言われると、悲観的な人は、すぐ「あー、俺は40歳までたいしたことはしていなかった、出遅れてしまったな」と感じてしまいます。それは全体でみれば大きな社会的損失です。
 したがって、社会的に活躍する年齢としては、
  25〜40歳を第一期、
  40〜55歳を第二期、
  55〜70歳を第三期、
  70〜85歳を第四期、
 というように分けたらいい。さらにプラスマイナスを前後に4歳から5歳つけ加えることもできます。
25歳まで修行する。40歳まで基盤を構築する。40歳から55歳までは充実期、70歳までは飛躍期、それ以上は85歳まで、さらに生きれば100歳まで社会に役に立つことをする。このように15年刻みで考え、さらに、それぞれの中を5年ごとに区切る。その上で計画を立てたらよいのではないでしょうか。
こう考えると、40歳の人は「なあーんだ。俺はまだ始まりのほうにいるんだからいつでもとり戻せるぞ」とまず安心するでしょう。