「売れないものをお作りなさい。必ず売れます」(天心が平櫛田中に)

k-hisatune2010-06-04

平櫛田中は、すぐれた木彫彫刻家として有名だが、107歳という長寿を全うしたことでもよく話題になる。また、この田中(でんちゅう)さんは、「六十、七十、洟垂れ小僧 男盛りは百から百から」というよく聞く言葉を語った人物でもあった。
「日本美術」は田中の代表作「鏡獅子」が完成した翌年に米寿を迎えた記念に回顧談を聞き、「私の歩いてきた道」として上下二回に亘って掲載した。その後何回かのインタビューをして、1972年に小平市の名誉市民になった際の挨拶も加えて、「平櫛田中 私の歩いてきた道」を出した。以下は、その中の「思い出の岡倉天心先生」から取りだした言葉と感想である。平櫛田中にとって、岡倉天心が生涯の師だった。
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彫刻家たちが作品が売れないと苦しさを訴えたとき、岡倉天心は「諸君は売れるようなものをお作りになるから売れません。売れないものをお作りなさい。必ず売れます」と言われている。このとき田中は、売れないものを作るのは雑作もない、自分の好きなものを作ればいいのだ、と感じている。そのアドバイスの結果、「法堂二笑」」などの名作ができた。その後、50年以上経って田中は「省みて、先生に背くことの多いのを恥じます。まことに恐ろしいお言葉であると、しみじみ感じます」と言っている。

91歳の時、田中は「五浦釣人」という五尺八寸の大きな天心像を作成している。天心が好きな鯛釣りをしているところをうつしたものだ。天心に直接指導をうけたただ一人の生き残りの彫刻家として天心生誕百年を機に仕上げようとしたものだ。

天心は「言いたいままを言っている平櫛さんは、一生借金の利息に追いかけられているようなものだ」と言い、その後に「実は自分もそうなのだ」と笑っていた。芸術には妙な運動や取引があってはならないが、現実にはある。それを田中は歯に衣着せずどしどし言うほうであり、風当たりが強かった。

器用な仕事は大嫌いという。自分には修業時代に器用な仕事がくっついていてそれをとるのに苦労している。習い初めの5年なり3年なりは、「無理矢鱈にでも木をこなすことを根本にせなきゃいかんのです」。

荻原守衛31歳。菱田春草38歳。青木繁30歳。同時代を生きた芸術家達の短い人生と比べると田中の仕事人生の長さに驚嘆を覚える。

「私はかねがね絵に日本が、西洋画があるように、彫刻にも日本彫刻と西洋彫刻の区別があってよい、塑造と木彫は全然性質が違うものだと思っているんですが、、、」(「現代の眼」47号)

「天心はよく、芸術の表現は、”理想”にあるということをいったが、その”理想”をいってくれる彫刻家は田中だけだと語っていたという」(「平櫛田中彫琢大成」)
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本日の歩み。

  • 9時。出勤。秘書と打ち合わせ。授業の準備。
  • 10時。高野課長と打ち合わせ
  • 10時40分。講義
  • 12時10分。教員ラウンジで金先生、樋口先生、菅野先生、中村その子先生らと懇談。豊田先生とiPadTwitter談義。テレビで民主党代表選、菅直人総理誕生。
  • 13時。プレゼミ
  • 14時半。2年生の田辺君来訪
  • 15時。インフォテック社来訪「ラポー」の取材と編集の相談にのる。
  • 16時。高野課長と打ち合わせ
  • 18時。多摩市健康増進センターのプールで水泳。


講義などで学生達に、iPadをみせると歓声があがる。