日経「交遊抄」(24日)に「幼なじみ突然現る」を書いた

k-hisatune2010-06-23

24日の日本経済新聞文化欄の「交遊抄」に記事が出た。(この23日のブログを書いているのは24日の早朝なので、記事の出る前日ににアップすることになる) 幼なじみの樋口裕一さんのことを書いた。以下、その原稿。
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幼なじみ突然現る

 尊敬する野田一夫先生に誘われてビジネスマンから大学教員(宮城大学事業構想学部)に転身して10年近く経った数年前のある夜、樋口裕一という名前で「私は子供の頃大分県中津市にいました。あなたは、けいぼちゃんですか?」というメールが届いた。
 「ゆういっちゃん、だ!」。一緒に遊んだ記憶がセピア色で蘇ってきた。幼馴染みがベストセラー「頭がいい人、悪い人の話し方」を書いた人物として突然現れたのだ。仙台から駆けつけ小学校以来の再会を果たした。互いに姿かたちは変わってはいるが記憶は細部まで一致しており間違いなく幼なじみだった。
 その直後、兄事する論客・寺島実郎三井物産)さんが多摩大学学長に就任することになった。補佐するために私も行くことになった時、「一緒に」と声をかけた。 
 大企業育ちの私、予備校の小論文の講師の彼と、キャリア上は異なった道を歩んできたが、今はコミュニケーションが苦手な学生達をそれぞれ独自の武器で鍛えているのは不思議を通り越して何か因縁を感じてしまう。小論文の神様の彼と図解教の教祖としての私の共著書も出した。
 "現代の志塾"多摩大の強みである「表現力」に磨きをかけようと、同僚として語り合うひとときは至福の時間である。(ひさつね・けいいち=多摩大学教授・学長室長) 
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こちらから出した見出しは「Always 四町目の夕陽」だったが、「幼なじみ突然あらわる」になった。また550文字という制約があるので、多くの情報を盛り込むのに苦労する。必然的に編集する記者とのやりとりも多くなる。「ワザがいるんですよ」と堤記者が最後に笑って語っていたが、その言葉に納得する。

この記者は2008年2月22日に、同じ文化欄で私の人物記念館の旅を「人物館 見えた縁の糸--全国220館以上を巡り、生き方と志に触れる旅」という記事にしていただいた担当者だった。この記事の最後には「4月から東京の大学に移るので、この旅もさらに拍車がかかるだろう。本物の日本人の足跡と志に触れる旅の魅力を広く世に伝えていきたい。」となっていた。

この文化欄に私の旅のことを紹介してくれたのは、日経新聞の篠原昇司仙台支局長だった。篠原さんは仙台で私のやっていた勉強会で話をしてもらったり、日経テレコン主催の講演会で私が講師をつとめたりしていた仲だった。その後、日経マーケティングジャーナルの編集長などをされている。

この堤記者から久しぶりに連絡があって、「まだ交遊抄には出てませんよね。書いてくれませんか」との電話だった。池松アルプス技研社長(当時)の記事の中で紹介されたことはあったが、そういう要請があったときには、樋口裕一さんのことを書こうと決めていたので、文章作成にはすぐにとりかかれた。

さて、そろそろ5時半だ。新聞が来ている時間だ。本物の記事を読みに取りに行こうか、、、。