「苦しみを楽しむ」−上村松園

上村松園全随筆集「青眉抄・青眉抄その後」(求龍堂)を読み終わった。上村松園は京都の美人画の女性の巨匠で、鈴木松年や幸野楳嶺の弟子になった後、竹内栖鳳(第一回文化勲章を東京の横山大観と同時に受章)に師事する。女性初の文化勲章を受章。1949年に74歳で逝去。

  • 「眉を感情の警報機」「眉は目や口以上にその人の気持ちを現す窓以上の窓」「美人画を描く上でも、いちばんむつかしいのはこの眉であろう。」
  • 「一途に、努力精進をしている人にのみ、天の啓示は降るのであります。」「天の啓示を受けるということは、機会を掴むということであります。」
  • 花鳥、山水、絵巻物の一部分、能面、風俗に関する特別の出品物まで、いいなと思ったものはどしどし貪欲なまでにことごとく写しとったものである。
  • 生命は惜しくはないが描かねばならぬ数十点の大作を完成させる必要上、私はどうしても長寿をかさねてこの棲霞軒に籠城する覚悟でいる。生きかわり何代も芸術家に生まれ来て今生で研究の出来なかったものをうんと研究する、こんなゆめさえもっているのである。ねがわくば美の神の私に余齢を長くまもらせ給わんことを!
  • 女性は美しければよい、という気持ちで描いたことは一度もない。一点の卑俗なところもなく、清聴はな感じのする香高い珠玉のような絵こそ私の念願とするところのものである。
  • 「よい人間でなければよい芸術は生まれない。」「よい芸術を生んでいる芸術家に、悪い人は古来一人もいない。みなそれぞれ人格の高い人ばかりである。」
  • 何事も見極める−−−実地に見極めることが、もっとも大切なのではなかろうかと思う。
  • 私を生んだ母は、私の芸術までも生んでくれたのである。
  • 彩管報国
  • 「その父賢にして、その子の愚なるものは稀しからず、その母賢にして、その子の愚なる者にいたりては、けだし古来稀なり。」(安井息軒)
  • 自分の思う絵を、私は機運がくると、たちまちそれの鬼となって、火の如き熱情を注いで−−−これまでに随分と数多くの制作をしてきた。
  • 私の友人は、支那の故事とか、日本の古い物語や歴史のなかの人物である。
  • 熱心さにおいて何人にもまけるものか、というのは私の信念であった。
  • 始めのうちは、うまくいかない、写しているうちに次第に気合いがのって、ひとりでにすらすらと正確な模写が出来ていく。
  • 一芸を立て通すとなれば男性の方でもそうに違いないが、殊に女性だとより以上に意志が強くないと駄目だと思います。
  • もう五十年七十年と時代が隔たるにつれましれ、そこに一と刷毛の美しい霞がかかります。私はこの美しい霞を隔てた、過去の時代を眺めたいのです。
  • 「何も彼も師匠の真似をして何十年かの後師匠の癖がすっかり飲み込めた上で自分が出て来るなら出したがいいと思います。」「そうした小さな自分を出して何になれるのでしょう。」
  • 私は画を作ることは、私ども作家にとって、苦しみでもあり、また楽しみでもあると言いたいと思います。
  • 苦しみを楽しむ−−−そういう気持ちが制作の上の、第一条件ではないかと思うのです。
  • 画を描くには、いつもよほど耳と目を肥やしておかなくてはならないようでございます。
  • 若い時の沢山の苦しみが積み重なり、一丸に融け合って、ことごとく芸術的に浄化されて、今の境地が作る出されたのではないかと思われてなりません。

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