大倉喜八郎「一寸儲ければ一寸だけ、一尺儲ければ一尺だけ、次第次第

文化の日。今年の文化勲章の人選は興味深かった。安藤忠雄三宅一生蜷川幸雄という反逆児が揃って受賞している。
東京6大学決勝の早慶戦も見応えがあった。斉藤の7回までの見事なピッチングと8回のエラーをきっかけとした慶応の猛攻、またエラーを交えた早稲田の反攻、大石の見事な救援と見所が多かった。小さなエラーからドラマが生まれる。
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ホテルオークラという超一流ホテル名前を遺す大倉喜八郎(1837-1928年)の伝記「大倉喜八郎の豪快なる人生」(砂川幸雄)を読了した。
大倉が足跡を残した会社や団体をあげてみよう。膨大な仕事量に驚く。
大成建設、大倉商事、ホテルオークラ東京電力東京ガス、帝国ホテル、新秋木工業、東海パルプ、日本化学工業、帝国繊維、東京製綱、リーガルコーポレーション、ニッピ、日清製粉サッポロビールアサヒビール日本興業銀行北海道拓殖銀行、帝国劇場、日本無線、千代田火災海上、、。
東京経済大学関西大倉学園、大倉集古館、東京慈恵会、東京都養育院、済生会東京商工会議所、東京新潟県人会、、、。
大倉喜八郎の豪快なる生涯
この人物の心がけを中心に言葉を拾ってみる。

  • 「志は将来にあって今日にあらず、小成に安んぜずして大成を期す」
  • 大倉は毎日6時に出店し、深夜に帰るような仕事ぶりで、「三時間寝れば充分」と言っていたという。
  • 注文に対しては、「迅速に正確に売買して、注文主に満足を与える」ことに留意した。
  • 「「虎穴に入らざれば虎児を得ず」。これは実に千古のの名言である。」
  • 実業家としての名声が確かなものになったころ、大倉は儲けた金を公共のために使い始める。
  • 「予定より十パーセント安く仕上げて、その半分をお得意様に返し、残りを当社の利益にせよ。そうすればますますうまくいく。」
  • 徳富蘇峰「、、彼は無鉄砲で放胆で、一度やろうということは、必ずやりつける男である。」
  • 「私が一代で儲けた金は、皆国家社会のために投じ、きれいサッパリの身体となってこの世を辞したい。」
  • これを嘆いた大倉は、それらの文化財を買い取って国外への流出を防ごうと、その蒐集を始めたのである。
  • 「商売は、双方の利益をはかるようでなければ、決して幾久しく円満に取引を継続していけるものではない」
  • 大倉喜八郎は、友人の安田善次郎と違って、自らの銀行や保険会社をつくらない方針を貫いていた。
  • 事業に関する金は、銀行から借りてやった。借りた金ゆえ、事業にも念が入り、やりかたが堅実にならざるを得ないことになる。
  • 「自分で働らいて儲けて、一寸儲ければ一寸だけ、一尺儲ければ一尺だけ、次第次第に大きくなるのがよいのです。」
  • 「私は王陽明に私淑しておる。」
  • 大倉は、秘書か通訳をしたげる程度で、どんなときでも原則は一人で行動したという。
  • 大倉の肉体的若さを証明する一番のものは、何といっても八十歳代に子供を二人も授かった事実だろう。

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